超訳 日月神示10「信仰心と身魂磨き」第一巻 上つ巻 第十帖
日月神示 第一巻 上つ巻 第十帖の超訳です。
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日月神示 第一巻 上つ巻 第一帖の超訳です。
「自我」は人間らしさを与えてくれる灯火。「自我」なくして、「その人らしさ」は生まれない。多種多様な考え方に溢れた社会には、なくてはならないもの。
「わたし」という言葉が奪われた世界とは、「自我」を奪われた世界。何かの言葉を失くすとは、その言葉の持つ概念を失くしてしまうこと。
思想が統一されるとは、「すべての人と同じ考えでいなければならない」ということ。それは、つまり「他人と違うこと」が許されないことである。「違い」が許されなければ、人は恐怖心から交流することを求めることを止める。
取違い防止も、個人情報保護法も後付けの理由に過ぎない。名前ではなく番号で人を管理するのは、単純にその方が管理しやすいから。人を人道的に扱うことよりも、管理のしやすさを優先していることの現れである。
「誰かを他の人より愛すること」が出来るのは幸せなこと。そして自然なこと。でも、もし何よりも「平等」が尊ばれていたら・・・。
「全体の幸福」を目指すと言うと聞こえはいいが、これには大きな矛盾がある。そもそも「全体の幸福」とはいったい何なのか。
野菜と山菜、全然違うこの二つ。野菜にも自然な野菜と人工的な野菜があるのです。
畑で野菜を作ることと、自然の中で野菜を作ることは全然違う。畑は人工的、そして自然は自然。
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