違いすぎ!『ティファニーで朝食を』映画と小説の大きな5つの違い。

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わらびです😄

今回は、「『ティファニーで朝食を』の映画は観たけど、原作との違いはあるのだろうか?」という人のために、大きな違いをまとめました。

読めばあまりの違いに驚くこと間違いなしっ!😆

違いその①「ティファニーで朝食を」の意味

映画では、冒頭のシーンでホリーが開店前のティファニーのお店の前で朝食を食べるシーンが出てきたせいで、「ティファニーで朝食を」のタイトルの意味を誤解しがちです。

原作には、このシーンはなく、「ティファニーで朝食を」という言葉にはもっと深い意味があるのです。

”「リッチな有名人になりたくないってわけじゃないんだよ。私としてもいちおうそのへんを目指しているし、いつかそれにもとりかかるつもりでいる。でももしそうなっても、私はなおかつ自分のエゴをしっかり引き連れていたいわけ。いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ごはんを食べるときにも、この自分のままでいたいの。~私たち(ホリーと名無しの猫のこと)はお互い誰のものでもない、独立した人格なわけ。私もこの子も。自分といろんなものごとがひとつになれる場所をみつけたとわかるまで、私はなんにも所有したくないの。”

ホリーはリッチな生活に憧れていますが、彼女が何よりも大切にしていることは、独立した人間であること。

ティファニーで朝食を食べることができるくらい裕福になっても、自分の気持ちに正直でいたい。自分のエゴを失いたくないということなのです。

だから実際に原作では、誰もホリーを自分のものにすることはできません。彼女はスルスルと人の手の抜けていく、猫のように掴みどころのない独立した人間🐱なのです。

違いその②マグ・ワイルドウッドのキャラの濃さ

『ティファニーで朝食を』の物語を盛り上げている存在。それは、マグ・ワイルドウッド。

映画では、クリスマスパーティーのシーンで登場し、長身で化粧がけばけばしく、強気な女性という印象だけで終わりましたが、原作はもっと強烈!🤣

”そのとき戸口で異変が上がった。一人の若い女性が疾風のごとく、スカーフをなびかせ、金細工をじゃらじゃらいわせながら、部屋に飛び込んできた。「ホ・ホ・ホリー」と彼女は言って、立てた指を振りながら前に進んだ。「あなたったら、ひ、ひどいじゃないよ。こ、こんなに素敵な、ひ、ひとたちを、自分だけでひ、ひとりじめにするなんてさ」”

彼女は長身で、女性としては、いささかたくましすぎで、どもり性があります、しかし、その欠点を逆手にとって、(そそり立つハイヒールを履いたりすることにより)多くの男性たちから注目を浴びようとする、登場したら忘れられない、ある意味ホリーに負けない強烈な女性なのです。

違いその③ホリーのドクに対する重要な発言について

映画ではホリーが十四歳の時に結婚したという、夫ドクに対してホリーが重要な発言をするシーンがありますが、最後まで喋りきることはなく、観る側としては「どういうこと?🤔」となりがちです。

このホリーの重要な発言も原作ではちゃんと最後まで読めます。

”「野生のものを好きになっては駄目よ、ベルさん」、とホリーは彼に忠告を与えた。「それがドクの犯した過ち。彼はいつも野生の生き物をうちに連れて帰るの。翼に傷を負った鷹。あるときには足を骨折した大きな山猫。でも野生の生き物に深い愛情を抱いたりしちゃいけない。心を注げば注ぐほど、相手は回復していくの。そしてすっかり元気になって、森の中に逃げ込んでしまう。あるいは木の上に上がるようになる。もっと高いところに止まるようになり、それから空に向かって飛び去ってしまう。(←このあたりで映画は終わる)そうなるのは目に見えているのよ、ベルさん。野生の生き物にいったん心を注いだら、あなたは空を見上げて人生を送ることになる」~「幸運を祈るわ。そしてね、ドク、ひとこと言わせて。空を見上げている方が、空の上で暮らすよりはずっといいのよ。空なんてただからっぽで、だだっ広いだけ、そこは雷鳴がとどろき、ものごとが消え失せていく場所なの」”

ドクは優しい人間で、傷ついた野生の動物を保護してきました。でも結局は、保護された動物はドクの元を離れ、再び野生の世界へと帰っていくのでした。

そして、ホリーという女性もこの野生の動物たちと同じなのです。

ホリーは野生の動物のように、誰のものにもならない独立した人間であり、空の上⛅、つまり高みを目指していますが、彼女自身、その目的地が虚しいものだと理解もしていることが分かる重要なシーンなのでした。

違いその④ホリーとフレッドとの関係

原作には、お菓子のオマケの指輪のくだりはありません。

ホリーとフレッドは、あくまでも友達で、映画に登場するような恋人のような関係はありません。

当然、図書館での「ホリー、君を愛しているんだ!」(ドタバタ!!)のくだりもな~し!

ちなみに、原作では、フレッドが女性から資金援助を受けているという設定もありません。

そしてこの、恋人か友人かの違いが、最後の最後で全く違うエンディングを迎えるのです。

違いその⑤180度違うラスト

映画では、ホリーとフレッドがタクシーで空港に向かう途中、名無し猫を捨て、「君は逃げてるだけなんだ!云々かんぬん!!😡」というフレッドのお叱りに、ハッとしたホリーは土砂降りの雨の中、名無し猫を探し、無事に見つかり、フレッドとフォーリンラブ💕で終わりますが、なんとここが違うっ!違いすぎるっ!!

原作では、捨てた名無しの猫は、その場では見つけることが出来ず、そのことでホリーは涙😥するものの、(この時フレッドは必ずいつか名無し猫を見つけるとホリーに約束する)結局彼女はブラジルに飛び立ってしまいます✈。

そして後日、フレッドのもとに、ブラジルで新たな男性と交際していることを知らせるホリーからの葉書が一通届くものの、それ以降は音信不通👻になります。

フレッドはホリーとの約束を果たし、名無しの猫がある家の窓辺に気持ちよさそうに座っているのを発見したのですが、それを彼女に伝える手段もなく、ただこの安心できる居場所を見つけた猫のように、ホリーも彼女の言う「ティファニー」のような場所を見つけて、そこで幸福に暮らしていることをただフレッドは願うのでした~。

という終わり方をしています。

どちらのエンディングが好きですか?

わたしは原作📔のエンディングが好きです。

何故かと言うと、原作の終わり方の方が、ホリーが彼女の信条通り一貫した独立した人間であったこと、そして名無し猫とのつながりの意味もより深いものになっているからです。

映画版だと、なんだかホリーはただのワガママな女性のようになってしまっていますが、それはフレッドとの関係など、原作と大きく変えたことに原因があるのだと思います。

まとめ

以上、『ティファニーで朝食を』映画と原作の大きな違い5つでした。

原作である小説の方の『ティファニーで朝食を』は、どこまでも、まるで猫のような自由奔放な女性🐱が表現されている作品です。

映画が好きだった人は、原作も読んで見ると、さらに面白さが倍増しますよ。

最後までお読みいただきありがとうございました。😊

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