映画『レ・ミゼラブル』小説版との大きな違い4つ

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わらびです。

今回は『レ・ミゼラブル』映画版と小説版の大きな違い4つを紹介します。

この記事は「映画は観たけど、原作とはどう違うんだろう?」という人向けのものです。

↓以下ネタバレ↓

違いその①ジャヴェールの怖さが表現されていない

『レ・ミゼラブル』といったら、なんといっても警官ジャヴェールの圧倒的存在感ですが、映画版ではそのジャヴェールの残忍さが描き切れておらず、なんだか普通の警官のようになっています。

だけど、実際の原作である小説版の彼は怖さ度120%!!

わたしが読むのが辛くなって、中断した時期があったのも半分はこのジェヴェールという恐ろしい人間のせいなのです。

”彼は禁欲的で、真面目で、厳格であり、陰気な夢想家で、狂信家のように謙遜でいて、傲慢だった。その視線は錐(きり)のようだった。冷たく、つらぬいた。彼の全生涯は、警戒と監視の二語につきた。~自分の有用さを自覚し、職務を神聖視し、まるで司祭のような態度でスパイをやっていた。彼の手にかかった者は、とんだ目に会う!”

ジャヴェールはただの警官ではなく、「完・璧・な」警官なのです(こわっ!)

”彼の父が徒刑場から脱走したら捕まえただろうし、彼の母が禁を破ったら告発しただろう。しかも、そうしながらも、徳行が与えてくれるような一種の内的満足を感じただろう。”

ジャヴェールに情け容赦はなし。たとえそれが実の両親であっても・・・(こわっ!2)

↓ジャヴェールの容姿についての描写たち三つ↓

”ジャヴェールが笑うとー笑うことはめったになく、ぞっとするような笑いだったがー薄い唇がひらき、歯だけではなくて、歯ぐきまでも見え、鼻のまわりには、野獣の鼻面にあるような、平べったい荒々しい皺ができた。真面目な顔のジャヴェールは、ブルドッグのようであり、笑い顔は、虎みたいだった。それに、頭が小さく、顎は大きく、髪は額を隠して眉まで垂れ、目の間には怒っているような縦皺が幾つもあり、目つきは暗く、口は恐ろしげにねじれ、いかにも残忍な命令を下しそうな面構えだった。”

”彼の額は帽子の下に隠れて見えず、その目は眉の下に隠れて見えなかった。その顎はネクタイに埋もれて見えず、両手は袖の中に入っていて見えず、ステッキはフロックコートの下に隠されて見えなかった。しかし、時期がくると、角張ったせまい額、不吉な視線、脅かすような顎、大きな手、怪物のような棍棒が待ち伏せていたかのように、急に暗闇の中から出てくるのであった。”

”ジャヴェールはそのときまで、立ったままで動かず、目を下に向けて、この場の中央に、どこかへ移されるのを待っている、移動中の彫像のように、横向きにおかれたみたいだった。掛け金の音に彼はわれに返った。彼は最高の権威の表情で頭をあげた。その表情は、権力が低ければ低いほど恐ろしくなるように決まっていて、野獣ならば残忍になり、身分の卑しい人間では残虐なものになる。”

これを映像で表現するのは難しそうだし、だれもこの役をやりたがらなさそう・・・。

以上、ジェヴェールについての描写部分を引用して紹介してみました。これだけでも、彼の怖さが十分伝わってくるとは思いますが、実際読むと、もっと恐ろしいのです😱

違いその②テナルディエの後日談の有無

コレットをさんざんこき使っておきながら、金になると分かると、どこまでも搾り取ろうとして、コレットの実の母親であるファンチーヌを騙し、ジャン・バルジャンを騙し、マリユスを騙した、(他にもいろいろな人を!)どこまでも小賢しいテナルディエ😜でしたが、映画では最後、結婚式場をマリユスから追い出されただけ~(ちゃんちゃん♪)という感じで終わり、まあちょっと罰が当たったかなくらいな印象ですが、これも大きく違います。

小説の方では、テナルディエのあまりの狡猾さに怒り、うんざりしたマリユスは、金を投げつけ「出て行け!😡」と追い出します。

そして、テナルディエは必死になって散らばった金を拾い集め、出て行った後、そのお金を元手になんとアメリカに高飛びし、黒人の奴隷商人になるのです😱

ジャン・バルジャンをはじめとする、多くの善良な人間たちがテナルディエに苦しめられてきたので、最後は盛大に罰が当たって欲しいと願っていたのですが、彼はまんまと逃げ、なんだか肩透かしをくらったような気分になりました。

違いその③弱っていくジャン・バルジャンの描写

映画では、ジャン・バルジャンがマリユスに真実を語った後、コゼットのために「自分はもう会わない方がいい(キリッ)」という感じで、あっさり身を引きますが、ここも大きく違うところ。

小説ではこんなにあっさりしていません。

小説では「やっぱりもう一生コゼットに会えないなんて耐えられない!これからも会いに来たい!🥺(←果たしてこんな表情だったのだろうか)」とジャン・バルジャンがマリユスに懇願し、マリユスもいったんは承諾しますが、真実を知った後では、ジャン・バルジャンに対する軽蔑心がわき、コゼットに会いに来るのをやめてもらうため、少しずつ細工をします。

それは、ジャン・バルジャンとコゼットが面会する部屋の家具を少しずつ減らすこと😂

この前まではあった暖炉に火がなかったり、椅子がなくなったり。そうしてジャン・バルジャンが長居できないようにしたのです。

ジャン・バルジャンも空気を読み、コゼットに会いに行く頻度を減らします。

でも本当は会いに行きたい。それで途中までは向かうものの、マリユスの心情を理解し、やっぱりやめて引き返すという描写があります。そしてコゼットという精神的支えを失ったジャン・ヴァルジャンはみるみる弱っていきます。

この部分が映画ではぜ~んぶカット💦読んでいて悲しい場面だったので、このシーンは入れて欲しかったなぁと思いました。

ひたすら純真無垢なコゼットと、真実を隠すが故に葛藤するジャン・バルジャンの会話が、じわじわ心を締め付けます。

↓以下、二人のある会話シーン↓

”「ねえ!」と彼女は言った。「優しくして!」そしてつづけた。「優しくするっていうのは、こういうことなの。おとなしくして、ここに来て住んで、また二人で楽しい散歩をして、ここだってプリュメ通りのように鳥はいますわ、わたしたちと一緒に暮らして、ロマルメ通りのあばら家を引き払って、謎みたいなことをなさらないで、みんなと同じようにして、一緒に夕食をして、一緒にお昼を食べて、わたしのお父さまになることよ」彼は手を振りほどいた。「あなたにはもう父親はいりません、夫があります」”

違いその④歴史的、哲学的部分の欠落

『レ・ミゼラブル』は歴史小説と言われているくらい、歴史事実についての文が多く、読めばその当時の実際の歴史についても知ることができます。

そしてなんといっても残念なのが、哲学的要素が全部抜けていること。

映画だから無理ないのかもしれませんが、私はこのユゴーが作品を通して語る哲学が『レ・ミゼラブル』の醍醐味であるとも思っているので、これが一番残念であり、物足りない部分です。

でも、これを映画に盛り込むのはやっぱり無理ですよね😅(多分盛り込んだら、すっごくテンポが悪くなっちゃう)

ちなみに、この哲学的要素については「小説『レ・ミゼラブル』名言集」の記事で、紹介していますので、気になった方はそちらの記事をご覧ください。

まとめ

以上、『レ・ミゼラブル』映画と小説の大きな違い四つでした。

原作は長編小説でボリュームがあるので映画では触れられていない部分がたくさんあります。

「映画は観たけど、もっと細かい部分が知りたいな」と気になった方は、この機会に是非読んで見て欲しいと思います。

読書が苦手な方は、歴史的説明箇所を全部飛ばすだけでも、だいぶ読みやすくなりますよ。

最後までお読みいただきありがとうございました。😊


レ・ミゼラブル (2012) (字幕版)
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