速度を上げるばかりが人生ではない。
マハトマ・ガンディー(インドの弁護士、政治指導者 / 1869~1948)
常に忙しくあることが、まるで勲章であるかのように生きている人がいます。
仕事に追われ、スケジュール帳にはぎっしり予定が詰め込まれ、いつも「忙しい、忙しい」と言っている。
その人達の話を聞いたり、様子を見て思うことは、「本人がいったい何をしているのかよく分かっていない」ということです。
「忙しい」と言っているのに、どうしてそんなに忙しくなっているのか自分で分かっていないのです。
どうして忙しくなっているのか、その答えは「本人がそれを選んでいるから」なのですが、当の本人はそれに気づいていません。
では何故そんなに自分が気付かないうちに速度を上げて忙しくしてしまうのでしょうか。
それは、自尊心が低く、他人に依存しているからです。
自尊心が正常で、日々自分の納得のいく毎日を過ごし、自分で自分を評価することができていれば、他人からの評価は必要としません。
自分で満足していれば、たとえ他人から見てカメのようなゆっくりとした歩みであっても、それで十分なのです。
けれど、自分を追い詰めてまで速度を上げる人というのは、自分で自分を評価することができないので、他人からの評価を求めます。
要するに「すごいね」「流石だね」「いいね」という言葉を欲しているのです。
その結果、仕事を猛烈に頑張って貯金をする、流行のものはいち早く手に入れる、口コミで話題の料理店があれば行列してでも行く、話題の映画を観る・・・というように日々やるべきことに追われる毎日を送ることになるのです。
けれど「すごいね」「流石だね」と他人から言ってもらって気分が良いのは一時的。
時間が経てば、また他人からの称賛の声を喉が渇くように欲します。
そうしてどんどんスケジュールを詰め込んで、速度を上げて、疲れて・・・結果としていったい自分が何をしているのか、何の為にこんなに忙しくなっているのか分からなくなってしまうのです。
そしてこれは他人の人生を歩んでいるとも言えます。
幸福は他人から与えられるものではありません。自分で創りだし味わうものです。
何気ない日常の中にこそ幸せは散りばめられています。
地味だけど美味しい家庭料理、面白い雲の形、道端の花々、綺麗な夕日、何気ない家族との会話・・・。
ゆっくり味わうことで見落としていたものが見えてきます。
●より良い人生を生きるためのメモ●
ゆっくり歩くことでしか見えないものがあるということを覚えておく