どんなに努力しても報われない人は神様に守られている

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どんなに努力しても報われない人は 神様に守られている

わらびです。

努力は必ず報われるという言葉もありますが、わたしはそんなことはないと思っています。

報われる人もいれば、報われない人もいる。

いろいろな本を読んでいると、これが現実なのではないかと思います。

以前記事「そのまま使える具体的な祈り方」で「祈りは聞き届けられる」と書きましたが、それは神様の御心に沿ったものである場合です。

御心に沿った祈りでない場合は、どんなに心がこもっていても叶えられないことがほとんどです。

簡単に努力や願いが叶う人がいる一方で、どんなに努力しても、どんなに祈っても叶わない人がいる。これはいったいどういうことなのか・・・。

叶わない方がその人のためになるから

どれだけ努力しても、イメージしても、とにかく全部思いつく手は試したのに、一向に成功する気配がない。神は自分を見捨てているのか。

それはちがうと思います。

私は、逆に、見捨てられていない、強く守られているから、その人の努力も願いも報われないのではないかと思います。

えっ?どういうこと??

たとえば、あなたが海に泳ぐ魚だったとします。周りの魚たちが向こうの方に行くといっぱい食べ物があると言っています。

そのウワサの場所に向かっていく者たちも後を絶ちません。

あなたもそこに向かいたいのですが、どんなに頑張っても辿り着くことができません。

行こうとした時に限って、潮の流れが速くなったり、恐怖心で足がすくんでしまったり(この場合はヒレ?笑)、道に迷ってしまったり、様々な理由が障害となり、どうしても辿り着けません。

しかし、実は食べ物がいっぱいあるというウワサの場所は、人間達によって築かれた漁場だったのです。

食べ物に気を取られた仲間たちは、次々に網にかかり釣られていっていたのでした・・・・・・。

ウワサの場所に向かおうとどんなに頑張っても行けなかった魚・・・、それは神様や守護神・守護霊様がその魚を強く守っていたのでした・・・・・・・。

努力や願いが叶わない理由は、これなんじゃないかなと思います。

叶わない方がその人にとって良いから、叶わないのです。

だから「わたしは神様に見放されているんだ(涙)」と嘆く必要はないと思います。

あまり必死にならず流れに身を任せよう

以上のような可能性があるため、何事もあんまり必死になりすぎる必要は本当の意味ではないのではないかとも思います。

自分にとって良いことは、頑張らなくてもスラリスラリと自然にそうなるものですし。

努力する必要はないという意味ではありません。ただ、無理に執着しすぎるのは危険かも・・・ということです。

自分が理想の地としている地点が、じつは地獄かもしれません。

なにせ、わたしたち人間は自分の主観を通してしか考えられませんし、神様のように人生を俯瞰して見ることもできませんから。

どんなに頑張っても上手くいかない時は、「もしかして上手くいかない方が自分に合っているのかな?」と思うようにすると、新たな視点も生まれてきます。

怪しい人物
怪しい人物
頭を長くすればなんでも願いが叶うよ

↑これは詐欺です注意してください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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