挨拶をしたのに返してくれなかったことに対して、傷ついたり、頭にきたりする人は多いと思います。
自分だけ挨拶して恥ずかしくなったり、毎日挨拶しているのに一度も返してくれなくてムカムカしたり・・・。
今回は、そんな挨拶で悩んでいる人の為に、少しでも楽になれるような考え方を紹介します。
挨拶はそもそも一方的なもの
まず、挨拶を返してくれない人に心を悩ませているあなたの根本には「挨拶は返すべきものだ」という思いがありませんか?
確かに多くの人は小さかった頃は親から、学校から「挨拶は必ずしましょう。(しかもできれば自分から)!」と教えられてきました。
そこには一種の”義務”のようなものもありました。
しかし実際は、挨拶は義務ではありません。
挨拶をされたのに返さなかったからといって罰則を受けることはないのです。
これは周知の事実だと思いますが、大事なことなので触れておきます。
しかし、あなたはこう思っていますよね。
「義務じゃないことくらい知っているよ。ただ人として返さないのはどうかと思うんだ。道徳的にそれはないんじゃないの?」と。
”人として、道徳的に”こういった概念が挨拶についてあるから、このことについて悩む人が多いんだと思います。
ですが、”人として、道徳的に”と考えてあなたに何の得があるのでしょうか。
むしろ、そう考えることであなたは今現在、傷つき、腹を立て、”挨拶”に頭を悩ませています。
例え”人として、道徳的に”が本当に正しかったとしても、この思いを持つことで苦しむのはあなたなのです。
道徳観を大事にしているあなたは立派です。
しかし、その道徳を相手に押しつけるのは私は違うと思うのです。
人は自分の生きたいように生きます。
あなたは道徳観を重んじているのでしょうが、他の人もあなたと同じ考えで生きているとは限りません。
”道徳観なんてくそ喰らえ!”と思っている人も世の中にはたくさんいるのです。
あなたは勝手に挨拶をしているだけ
私は”挨拶”とは究極的には「自分勝手な行為」だとも思っています。
例えば、あなたがひどい病気で気分が悪く、声を出すのも辛いとします。
そんな時、向こうの方から「こんにちは~♪」とさわやかな笑顔で挨拶をしてきた人がいます。
この場面で、あなたは同じように笑顔で「こんにちは♪」と返せるでしょうか?
たぶん返せないと思います。
返せないどころか「ほっといてよ」とか「人の気も知らないで!」と内心思ったりするのではないでしょうか。
今のはたとえ話でしたが、もしかしたら、挨拶を返してくれなかった人は気分が悪かったのかもしれません。喉が痛くて声が出なかったのかもしれません。
こういうと、「それは仕方がないよ。でも明らかに普通そうなのに返してくれない人がいるんだよ」とあなたは思っているかもしれませんね。
しかし私が一番言いたいのは「挨拶は(究極的には)自分勝手なものである」ということです。
あなたが”勝手に”挨拶をしたのです。
返す義務がない以上、究極的にはその挨拶を返す、返さないを決めるのも相手の”勝手”なんです。
例え実際には相手の気分が絶好調だろうが、鼻歌をうたっていようが、関係ありません。
だって”勝手”なんですから。
勝手な以上、腹を立てても仕方ありません。
それに体調が万全だとしても、毎日が面白くなくて常に不機嫌な人なのかもしれません。
家を出てくる前に家族と喧嘩したのかもしれません。
その人に「私がせっかくあなたに挨拶してるんだから、挨拶を返しなさいよ」と言うのは、やはり自分勝手すぎませんか?
相手があなたに「私に挨拶をしてよ」と言っておいて、返さなかったのなら怒るのも仕方ないと思いますが、相手はあなたに「挨拶をして」とは一言もお願いしてはいないのです。
嫌な気持ちになるくらいなら挨拶はしない
「挨拶」とは先ほども述べましたが究極的には自分勝手な行為です。
そんな自分勝手な行為をしておいて、自分で気分を害したりするのなら、その行為はやらない方が自分のためです。
たとえ挨拶を返してもらえなくても、ご機嫌を保てるなら挨拶はしてもいい。
けれど、挨拶を返してもらえなかったと腹を立てるくらいなら、挨拶をするのはやめた方がいいです。
そんな気持ちで挨拶をしても、あなたにとっていいことなんてありません。
挨拶は返してもらったらラッキーと思うくらいが丁度いい
挨拶は”返してもらえるはず”と思いこんでしまうと、そうでなかった時にショックを受けます。
だから最初から「挨拶は究極的には自分勝手な行為、自分が好きでやっているだけなんだから相手の反応は別にどっちでもいいや」と思っていると、返してもらえなかった時のショックもだいぶ和らぎます。
挨拶は気持ちのいいものであって欲しいから
私は挨拶は自分が「花のようになる」行為だと思っています。
花はどれも美しく咲いていて、見る人を和ませてくれますが、花は私たちに見返りを求めません。
花は見る人全てに無償の愛を提供してくれているのです。
挨拶も同じように、見返りを求めるべき行為ではないと思います。
自分で気持ちよく挨拶をして、そこでもうスッキリしてしまう。もし、挨拶を返してくれたらラッキーだった!と喜ぶ。
そうやって、自分が「花のような存在」になっていることを楽しむことに”挨拶”という行為の面白さがあると思うのです。
だから、この面白さを感じられない場合は、(選べるのなら)思い切って挨拶をするのをやめてみるのもいいと思います。
挨拶をいっきにやめてしまうことに抵抗がある方は、挨拶を絶対返してくれないと分かっている人には、するのをやめるのも一つの手です。
「絶対返してくれない」というのは、もしかしたらその人は「自分には挨拶をしないで欲しい」と思っているのかもしれません。
なるべく挨拶を返してくれる人にだけ挨拶をして、挨拶の面白さを思い出す。
挨拶の本当の楽しさに気づけば、挨拶に心を悩ませることも自然となくなるでしょう。
挨拶について心がざわついた時は次のことを思い出してみてください。
・”道徳的に、人として”にしがみつくことは自分を苦しめる
・挨拶は究極的には自分勝手な行為ー挨拶をしたくない気分の人もいる
・嫌な気分になるくらいなら挨拶するのはいっそやめてみる
・挨拶は自分で楽しむものー挨拶したら相手の反応に関係なくスッキリしてしまおう
それでは~。