映画「ニュー・シネマ・パラダイス」あらすじと感想

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もるもる君
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ニューシネマパラダイスって良い映画だったけど、どんな内容だったけ?

わらび君
わらび君
さっそく振り返ってみよう!

心に響く映画ニューシネマパラダイス。今回はそんなニューシネマパラダイスのあらすじと私の感想を紹介します。

目次

あらすじ

感想:ニューシネマパラダイスには愛が溢れていた

まとめ

あらすじ

ニューシネマパラダイス

ローマにいる映画監督サルバトーレのもとにある晩、シチリア島に住む母から地元にあった映画館「パラダイス座」の元映写技師アルフレードの訃報を聞き、サルバトーレはベットに横たわりながら村での過去の思い出を回想するのだった・・・。

第二次世界大戦中まだ幼かったサルバトーレことトトは、シチリア島の僻地の村で母と妹と暮らしていた。

父は戦争に行ったきり帰ってこなかった。

そんな小さな村での唯一の娯楽は村の中心広場にある映画館「パラダイス座」のみであった。

トトは大の映画好きで毎日映画館に通いつめ、特に映写技師のアルフレードが働く映写室に入り浸っていた。

作品の中にキスシーン等があると検閲係である神父は決まってベルを鳴らし、そのシーンのフィルムをカットしなければならなかった。

アルフレードは最初トトを邪魔者扱いしかしていなかったが、アルフレードが母親から怒鳴られているトトを助けたり、小学校卒業資格試験の回答をトトが手伝ったりするなど、様々な出来事を共にすることで二人の間には世代を超えた友情が生まれた。

検閲でカットされたフィルムをトトが欲しがるも、配給会社に返却する際にまたくっつける必要があるからとアルフレードに拒否された。しかしトトのしつこさに負けたアルフレードは条件付き協定で今は預かっておくがこのフィルムはトトのものだと約束する。

そんなある日、パラダイス座でフィルムが燃え火事が発生してしまう。

アルフレードは必至に火を消そうとするが火は瞬く間に映写室に燃え広がりアルフレードは倒れてしまう。

映画館前の中央広場にいたトトは一目散に映写室に走りなんとかアルフレードを引きずり出し助けるのだった。

トトのおかげでアルフレードは一命をとりとめたものの、代償として視力を失ってしまった。
それから、代わりにトトが映写技師として働き始めるようになる。

青年になったトトは転校してきた女性エレナに恋に落ちる。

そんなエレナとの恋も思うようにはいかず途方に暮れるトトに対して、アルフレードは村を出ろと諭す。

トトはアルフレードの主張を受け入れ、ローマに旅立ったのだった。

それから30年後、有名な映画監督になったトトであるサルバトーレはアルフレードの葬儀に参加するために故郷に帰ってきた。

村の中心的存在だった「パラダイス座」はテレビ・ラジオの出現により廃れてとっくに閉館しており駐車場にするため爆破された。

そしてサルバトーレはアルフレードからの形見を受け取る。

それは一本のフィルムだった。

フィルムを再生してみると、その内容は当時神父の検閲によってカットしていたキスシーンフィルムをつなぎあわせたものだった。

サルバトーレは思わずハッとし、泣き笑いながらフィルムを見るのだった。

感想:ニューシネマパラダイスには愛が溢れていた

二人の友情

この映画は幼少時から映画、とりわけ映写室を愛したトトとその師であり親友であるアルフレードとの友情の物語である。

第二次世界大戦中父が帰って来なかったトトにとってはアルフレードは父親のような存在であったと思う。

だからといってアルフレードに守られてばかりの関係だったかというとそうでもない。

小学校卒業資格試験のカンニングを手伝ったり、火事から助け出したりと様々な困難を二人で乗り越えてきたのである。

それは父と子のような単純な親子関係と言うより、真の友人という言葉がしっくりくる。

恋そして旅立ち

いたずら好きで可愛かったトトも青年になると恋に悩む。

そんなトトにアルフレードは「青い瞳の女性は難しい」と一言。

アルフレードにはトトとエレナの恋は結ばれないと分かっていたのだろう。

そしてトトには映画への才能があることも知っていた。

トトの友人として、自分のような村で働くさえない映写技師として一生を終えて欲しくなかったアルフレードは、叶わない恋に夢中になり物思いにふけっているトトを見てもどかしかったのだと思う。

そしてついにアルフレードはトトに村を出ろと告げる。

手紙も電話もいらない、欲しいのはウワサだけだと半ばトトを追い出すかのようにローマへの出発を送り届けた。

30年後の姿

それからある晩トトはアルフレードの訃報を知る。

村を出て30年後のことだった。

アルフレードの葬儀に参加するために、故郷に帰ったトトであったが村には車が溢れ、当時とは全く変わった様子になっていた。

変わっていたのは村の様子だけではない、昔「トト」と呼んでいた人から「サルバトーレさん」と呼ばれるようになっていた。

トトが「どうして敬語なのですか?」と尋ねると「あまりに有名になられたので・・・でも今回だけは・・・トト」と告げられるのだった。

そう、村でアルフレードの仕事を継いだ映写技師と知られていたトトは、有名な映画監督として知られるようになっていたのである。

そこにはどこか村の人たちとの距離が遠くなってしまったような感じも受け取れた。

トトが村を出ていた間に、ラジオ・テレビの出現によって映画業界は廃れてすっかり客足が途絶えていた「パラダイス座」は閉館していて廃墟のようになっていた。

駐車場にするために爆破されると「パラダイス座」は音を立てて崩れていく。

一瞬の出来事である。

駐車場になると、もうここにかつてあんなに村の人たちが夢中になっていた映画館があったことなんてすぐに忘れられてしまうんだろうな、と考えると悲しさがこみ上げてくる。

現実でも、こうして忘れられていった建物は多分無限にあるのだろう。

形あるものはいつか壊れる。

唯一残るのは思い出だけである。

映画とは話が少し逸れるが、この場面を見て歴史ある建物を保存することは大事なことだと思った。

世界遺産等に認定され、保存されている建物を何度か見に行ったことがあるがその時はあまり心に引っかかるものがなかった。

でも今は、そんな建物の見方がこの映画で変わった。廃墟のようにしか見えない建物にもかつては「パラダイス座」のような活気や出来事、いろんな人たちがいたのである。

その様子を想像しながら見れるようになったと思う。

話を映画に戻そう。

村を一通り歩き終わったトトは母マリアに「ずっとここにいたみたいだ」と言う。

この意味が少し分からないのだが、私はトトはもう別の次元の人になってしまっているように見えた。

確かに村の人たちは、「ここは俺の広場だ」という人もいるし、映画館でセリフを全部暗記していた人もいてあまり変わっていないけれど、トトは30年ローマにいたように村の人たちとはすっかり雰囲気が変わってしまっているのだ。

それは村人の「サルバトーレさん」の言葉にも表れていると思う。

それからトトはアルフレードからの形見である一本のフィルムを受け取る。

再生してみると、それは検閲でカットされたキスシーンをつなぎ合わせたもの。

それはつまり、幼少時代にトトとアルフレードの間に交わした約束のものだった。

アルフレードは約束を忘れていなかったのだ。

ニューシネマパラダイスのテーマ曲とともに流れる名映画のキスシーンの数々。

トトがハッと息を吞む様子。

それはトトがアルフレードの真の愛情に気付いたからであろう。

アルフレードの真の愛情

それはトトに映画業界で成功を収めてもらうこと。アルフレードはトトに自分のようなしがない映写技師として一生を終えて欲しくなかった。

そして、アルフレードには映画業界で成功するだけの才能がトトにあることも分かっていた。

だからこそ、トトを突き放すように村を旅立たせたのだろう。

それがアルフレードのトトに対する愛情だったのだ。

ラストのフィルムはキスシーンの連続である。そこには男女の愛情が溢れている。

それは当時村人たちが見たがっていたシーン。蘇る観客席のブーイング。

そこには映画を愛する人たちで溢れていた。

みんなが映画を通して一つになっていた。

そして、映写室での出会いから始まったトトとアルフレードの友情。

それは世代も時も超えた真の友情であった。

ラストのフィルムには、そんなアルフレードの愛情も溢れている。

ニューシネマパラダイスは愛に溢れていた。

少し引っかかったもの

以上が私のニューシネマパラダイスの感想だが、少し疑問に思った部分もあったので書き留めておこうと思う。

それは大人になって成功したトトが少し寂しく見えたことである。

有名な監督になったものの、村人からは敬語を使われるようになっていたり、あんまり愛し合っていない女性との生活もなんだか冷めている。

実際母マリアからは「あなたを心から愛していない」と告げられている。

アルフレードは読み書きができず、映写技師として働いて一生を終えた。

彼は映写技師の仕事は休みもなく忙しく、こんな仕事オススメできないと言っていた。

確かにアルフレードはこの仕事が原因で視力を失うことになってしまった。

それでも、最後の葬儀には馴染みのある村人たちが参列してくれて、ある意味幸せな人生だったのではないかと思う。

それに、村の中心広場にいる「ここは俺の広場だ」という人物も30年経っても変わっていなかった。

彼の世界の中心は村の広場である。それで、一生終えていくのだろうが彼も彼である意味幸せな気もするのだ。

それに対して大人になったトトは成功の代償として何か大切なものを失っている気がしてならないのだ。

ローマでの生活は多忙だっただろう。それに並大抵の努力では映画監督として成功できないはずである。だからこそ、何かが犠牲になっているような気がするのである。

ただ、映画監督として成功できたのもアルフレードのおかげである。

アルフレードがトトを村から旅立たせたのは愛あってのことだった。

だからこそ、余計に何か引っかかったような気がするのである・・・。

まとめ

いかがでしたか?

以上「ニューシネマパラダイス」のあらすじと感想でした。

もるもる君
もるもる君
振り返ってみても感動するなぁ~

わらび君
わらび君
また観たいね!

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