日月神示に相談しよう:引き寄せの法則は存在するのか

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日月神示と引き寄せの法則

わらびです。

念じれば、その念じたモノ・ことを現実に引き寄せることが出来ると言われる「引き寄せの法則」

なんと日月神示にも引き寄せの法則なるものの記載がありました。

今回は日月神示から引き寄せの法則について書かれている部分を抜粋し、紹介します。

日月神示ってなに?という人はコチラの記事からどうぞ↓

「日月神示は面白い」

すべては気から生まれる

気をつけるのじゃ。気が元じゃよ。気から生まれるのじゃよ。心を配れと言っておるじゃろう。心のもとは気じゃよ。全てのものは気なのじゃ。気は「喜び」じゃよ。一人一人すべての人間にそれぞれの気を植え付けてあるのじゃよ。嬉しい気は嬉しいことを生むぞ。悲しい気は悲しいこと生むぞ。恐れは恐れを生むぞ。喜べば喜ぶことが起こると言っておるじゃろう。天災でも人災でも民の心の中に動く気のままになるのじゃよ。~爆弾でも当たると思えばその通り当たるのじゃよ。恐れると恐ろしいことになるのじゃ。いいか、ものは気から生まれるのじゃよ。気が元なのじゃからな。(第八巻 磐戸の巻 第2帖)

世界の戦争、天災はすべて人民の心からじゃ。(第十九巻 まつりの巻 第14帖)

日月神示によると、すべてのことはから生じるそうです。

嬉しがる気持ちからは、嬉しくなることが起こり、悲しむ気持ちからは、悲しくなることが起こる。

心の中に抱いた気が、現実に引き寄せられる・・・。

これは引き寄せの法則と全く同じ概念ですね。

戦争も天災も人災も起こって欲しくないことですが、「気が全て」であるならば、恐れを抱いてそのことばかり考えるのはやめた方がよさそうです。

気が元じゃと言っておるじゃろう。神の国は負けるという言葉は悪魔じゃ。本土上陸という気は悪魔じゃよ。気を大きく持ってくだされ。(第十巻 水の巻 第6帖)

これは日本のことでしょう。

どんなに日本が危ない状況にあっても、マイナスな言葉や思いを抱くことは良くないようです。

「気を大きく持ってくだされ」という神の言葉が、余計に「気が全てである」ということを示されているような気がして、気軽に悪いことを考えるのは恐ろしくなってきました。(恐れてはいけないのですが)

心に留めるのじゃ。どんなことがあっても不足を言うではないぞ。不足は悪じゃよ。全部民の気からじゃとくどく言っておるじゃろう。民は気から起こって来たのじゃぞ。自分の難儀は自分が作るのじゃよ。だから自分を恨むより他に方法はないのじゃよ。(第十三巻 雨の巻 第16帖)

恐ろしいこと、嫌なことを考え続けた結果、まさにその通りのことが自分の身に起こってしまう。

こんなことになってしまわないために、普段から自分がどんな思考をしているのか一度見直した方が良さそうです。

運命は自分でつくるもの

運命は自由自在のものであるのじゃが、また同時に強いるものでもあるのじゃ。大きくも小さくも、薄くも厚くも、その人の心次第に変わるのじゃよ。何故なら元は霊界にあるからじゃ。嬉しい嬉しいと運命を迎える気はよいことじゃ。~何事も天から出て来るのじゃ。天からとは、心からということじゃよ。(第二十六巻 黒鉄の巻 第29帖)

すべては気からなので、当然自分の運命も自分で創られるのでしょう。

ただ創られるだけでなく、運命は強いるものでもあるため、どんな運命を創り出すかは気を付けた方がいいようです。

悲劇的な運命を予想すれば悲劇的な運命、平凡な運命を予想すれば限りなく平凡な運命が待っているということでしょうか。

引き寄せの法則は存在する

気が到れば、物が到る。物を求める前にまず気を求めるのじゃ。目標無しに歩いてもくたびれもうけばかりじゃ。人生の目標、行く先の見当てつけずに、その日暮らしの自分だけよければの世の中になっておるぞ。(第二十六巻 黒鉄の巻 第35帖)

念じれば、それを引き寄せる。

このように、日月神示にも引き寄せの法則と同様な内容が書いてありました。

それと、気がすべての元であるので、人生の目標を立てることも大事なようです。

見ようと思えば、念の中に出てきて見ることも、語ることもできるのじゃ。見まいとすれば見えんのじゃ。自分で見て自分で語るのじゃぞ。時、所、位、全てが想念の中に、想念のままに現れて来るのじゃよ。分かりやすく言うならば、時間も空間も映像であって情態(状態)が変わるのみのことであるのじゃ。(第二十四巻 黄金の巻 第7帖)

この言葉を読んで、次の名言を思い出しました。

楽天主義も悲観主義も一つの思考習慣によるものです。楽天家の人生が楽しく、悲観主義の人の人生が暗いのは当然です。どちらもそれを望んだからです。 – ジョセフ・マーフィー(アイルランド出身の宗教家、著述家 / 1898~1981)

同じ場所、同じ時間にいても、楽しめる人もいれば、不機嫌になる人もいます。

それは楽しめる人は何でも面白がってしまうからであり、不機嫌になる人はなにが起こっても悪いように考えるからです。

その人に具体的に何が起こったのかというよりも、その出来事についてその人がどう感じるかなのです。

だから、いつも機嫌の良い人には良いことが起こるし、機嫌の悪い人にはさらに機嫌が悪くなるようなことが起こるのです。

誰も機嫌の悪い人には近づきたくないでしょう。

自分で不機嫌な顔をしているのに、他人から微笑まれることなんてまず無いのです。

これはごく小さな例ですが、日月神示によると、そもそも時間も空間も映像なのだそうです。

映像だから、その人の想念によって自在に映し出される内容も変わるということなのでしょうか。とても不思議です。

宇宙は人間の心のままじゃと言っておるじゃろう。宇宙は未完成のものと言っておるじゃろう。永遠に未完成であり、めでたいものじゃ。~不変の中に千変万化、自由自在の存在を与えているのじゃよ。(第二十六巻 黒鉄の巻 第37帖)

宇宙ですら人間の気のままに変化するようです。

永遠に未完成であるが故に、無限の可能性がある。

なんだか想像するとワクワクします!

欲を持つのは悪いことではない

禁欲は神の望んでいることではないぞ。欲を導くのじゃ。欲を浄化して、生めよ、産めよ。今の民、欲の聖化を忘れているぞ。欲は無限に広がり、次々に新しいものを生み出すのじゃよ。自分だけならば、五尺の身体、五十年の命であるが、霊を知り、宇宙の意思を知り、神に融け入ったならば、無限大の身体、無限の命となるのじゃ。誠の嬉しい嬉しい喜びとなるのじゃよ。(第二十六巻 黒鉄の巻 第34帖)

引き寄せの法則があるからといって、欲しいモノを手に入れようとするのは、なんとなく欲の塊で良くないことのような気がしますが、日月神示によると欲を持つのは悪いことではないようです。

逆に欲を持つことを奨励しています。

何故なら、欲によって新しいものが生み出されるからです。

ただし、どんな欲でも良いというわけではなく、欲を浄化する必要があるとのこと。

例えば、自分から生まれた欲を人の為に活かすことでしょうか。

「霊を知る」とは言霊や霊界の存在を知って使う言葉や想念に気を付けること。

「宇宙の意思を知る」とは、宇宙が未完成であることや、だからこそ人間の気がすべてを生むということ、人間のいう善悪は存在しないということを知ること。

「神に融け入る」とは、神の教え(神示)と共に歩み、身魂を磨くということでしょうか。(日月神示には「人間には神と同じ分け身魂を入れているから身魂を磨けば神になる」という記載があります。)

ただの思想は念ではない

念であると今の民が言っている思想は誠の念でなないぞ。念とは力であるのじゃ。実在であるのじゃ。喜びであるのじゃよ。思想は単に思想じゃ。喜びこそが神じゃよ。(第二十七巻 春の巻 第48帖)

思考は現実化するとか、願えば叶うとか、最近は引き寄せの法則がブームになっているような気がしますが、ただ思うだけでは駄目なようです。

欲しいもの、なりたい状況を思い浮かべて、それが本当に既に現実であるかのようにありありと想像して、現実のように思えるから嬉しくて、喜びの気持ちが湧いてくるようなレベルまで持ってきてはじめて力を持つ念だと言えるとのこと。

よく「起きて欲しくないことばかり起こる」という人がいますが、起きて欲しくないことというのはけっこう誰にでもリアルに想像できてしまうからかもしれません。

まだ起きていないのに、そもそも起きるかすら分からないのに、すごく細かいシチュエーションまでイメージして恐れたり、心配した経験はありませんか?

あの想像力を、起きて欲しいこと・欲しいモノに使うことができたら成功するということです。

でもこれがなかなか出来る人が少ないんですよね。

馬鹿馬鹿しくなったり、そんな念じるだけでなるわけがないと思ったりして。

でも起きて欲しくないことを想像して心配するのは、何故か馬鹿馬鹿しいと思ってやめる人はあまりいないんですよね。

同じことなんですけどね。

多くの人がマイナスのことにばかり引き寄せの法則を発動させる才能があるとは、神の悪戯なのか・・・・皮肉な話です。

念とは力。喜び!

だからこそ、嬉しくて顔が勝手ににやけてしまうくらい楽しいことをいつも想像しましょ~。

まとめ

・すべては気から生まれる
→だからこそ簡単に悪いことを想像するのがいかに危険であるか

・運命も自分でつくりだすもの
→強いるものでもあるため、つくりだす運命は慎重に

・引き寄せの法則は存在する
→何故なら時間も空間も映像だから

・欲を持つことはいいこと
→ただし浄化させる必要がある

・ただの思想は念ではない
→喜びの気持ちが湧き上がってくるほどの強烈なイメージを持つこと

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