ゲーム「ザ・シムズ」
意外なところで意外なことに気付かされることは多いものだ。
例えばゲーム「ザ・シムズ」がそうだった。
私は小さい頃から「ザ・シムズ」シリーズが好きで、今までに様々な作品を遊んできた。
「ザ・シムズ」というゲームは、私たち人間に似た”シム”を作り、シムの世界(これも私たちの世界と似ている)で生きる彼らを眺めたり、自由に操作して遊ぶゲームだ。
そして、「ザ・シムズ」には大きく分けてパソコン版とそうでないもの(PS4やDSなど)があり、パソコン版は自由度が最強で、豪邸やさらには理想の街なんかも創造することができる。
私はパソコン版では専ら家づくりを楽しんでいる。
頭の中に思い描いた建物が、綺麗に映像化され、その建物の中を自由に歩き回れるというのはとても面白い。
話が脱線しそうなのでパソコン版のシムズについてはここまでにしておく。
これに対してパソコン版以外のシムズは、自由に建物を作って遊ぶというよりは、ストーリーを楽しむ遊び方をするものだ。
あらかじめ目標が設定されており(例えば”昇進する”とか)、その目標をクリアーしていくことで次のステージに進むことができる。
今回紹介する「ザ・シムズ(PS2版とGC版がある)」は、まさにそのタイプのシムズシリーズだ。
忘れていた発想
私は小さい頃「ザ・シムズ」というゲームがとても好きだった。
与えられた目標をどんどんこなし、あっという間にクリアーした。
その思い出のゲームを久しぶりにやってみたのだ。
好きなゲームだった記憶があったので、意気揚々と始めてみたら、待っていたのは苦痛に満ちた究極の作業ゲーだった。
目標を達成しないと次のステージに進めないのに、序盤のステージで既に「起きる→朝ごはん(ここで洗わなければならない皿が発生するが、そんな時間はなく・・・)→出勤→疲れ切って帰宅→昇進に必要なスキル磨きをする余裕もなく食事(さらに皿がたまる・・・ダジャレ?)→洗わなければならない皿や片づけるべきゴミが家中に散乱し、それによりさらにシムのストレスが悪化→そんな環境で寝る→起きる→・・・」この負のループが続き、目標をこなすことができなかったのだ。
究極の作業ゲーに苦戦しながら「小さい頃はもっとスイスイ進めたはずなんだけどなぁ・・・」と疑問を感じていた。
私はこの究極の作業ゲーをとことん効率化すれば、なんとかやっていけるだろうと考えていたが、私の予想は外れ、虚しく日々のルーチンをこなすだけだった。
あまりの進行のしなさすぎに、さすがに嫌になってしまい攻略法を見ることにした。
そしたら、そこには「品質の悪い家具を高品質のものに替える」「必要な家具を(既にある不要な家具を売って)揃える」と書いてあった。
なぜ家具の品質が関係あるのかというと、例えば、品質の悪い(激安な)ベッドは、寝ても睡眠ゲージがなかなか回復しない。
けれど、品質の良い(高級な)ベッドは、睡眠ゲージの回復速度が速い。
速く睡眠ゲージが回復するということは、睡眠時間を短縮できるということだ。
そうしたら、空いた時間を家の掃除や、スキルアップの時間として使える。
この攻略法を読んで私はショックを受けた。
なぜならこの方法は、かつて小さかった頃の私が自分で見つけ出した方法だったからだ。
小さい頃にはノーヒントで答えを見つけられたのに、今、その答えに自力でたどり着けなかった自分がショックだったのだ。
「昔は思いつけたのになぜ?」と、とても疑問に思った。
「ザ・シムズ」のストーリーでは、自分の操作するシムは、他の人の家に居候させてもらっているという前提だ。
その居候させてもらっている家で、与えられた目標をクリアーすると、より大きな家に居候することができる仕組み。
そんなわけだから私は、「居候させてもらっている立場で、世帯主の家具を”勝手”に売り、自分の好きな家具を買う」そしてさらに「お金が足りなければ”世帯主”の家具をじゃんじゃん売りまくって、必要なお金を手に入れる」とはまさか考えもしなかったのだ。(ゲームなのに!)
だから、質の悪いベッドで寝て、スキルを磨くために必要な道具を買うお金は仕事で得た給料(これも安い!)でまかなうしかないと思っていた。
だから睡眠不足に悩まされ、仕事に追われるという究極の作業ゲーになってしまっていたのだ。
けれど小さい頃の私は、「こんな安いベッドじゃ、なかなか睡眠ゲージは回復しないよ。そうだ、これを売って高級なベッドに替えちゃおう!」「新しい道具を買いたいけどお金足りないな・・・。そうだ家の使ってないもの売っちゃおう!」と自然に攻略法と呼ばれる答えにたどり着いていたのだ。
さらに驚くべきは、ベッドから起きて出勤するためのバスに乗り込むまでの時間が勿体ないと(バスが到着してから出発するまでの時間はけっこう短く、家が広いと移動するのに時間がかかり乗り遅れてしまうことがあるのだ!)、バスが停まるすぐ横にベッドを置いたりした。(そこは当然、屋外である)
家具を勝手に売りまくって、家の総資産が減ると、次の居候先に引っ越す時に世帯主のお怒りの言葉と共に、いくらかお金を取り上げられてしまう。(しかもマヌケな音付きで!)
このシステムには小さい頃の私はさすがに気付かず、引っ越す度にマヌケな音と一緒にお金が”取られる”(?)のが少し嫌だった。
でもそれでいいのだ。ゲームなのだから。
世帯主を怒らせ、マヌケな音を鳴らしてしまっても、ゲームをクリアーしさえすればいいのだ。
この単純なことに小さい頃の私は気付いていた。
だから究極の作業ゲーにはならず、楽しいという気持ちだけですんなりとゲームをクリアーすることができたのだ。
一方、改めてやってみた私には、この柔軟な発想が欠けていた。
ゲームと分かっていながら、与えられた物で目標をこなさなければならないという”思い込み”に囚われ、自由に行動することができなかったのだ。
余談になるが、日月神示には「苦しんだらいけない。苦しいのは間違い。正しさよりも楽しさを求めるべきであり、楽しい道こそが真の道である」と記載されているが、この出来事はまさにその通りであったことにも驚いた。
関連記事「日月神示に相談しよう:楽を求めるのは悪いこと?」
よく、「子供の発想はすごい」と言うが、その発想を失いかけていたことに気付かされた出来事だった。
これはゲームにのみ言えることではない
けれど私は、これはゲームにのみ言えることではないと思う。
勿論、人の家の家具を勝手に売ってはいけない。(それがたとえ、安いベッドから高級ベッドに交換する場合でも)
そういうことではなくて、「常識や既存の考えに囚われすぎていないか?」ということだ。
「これにしがみつくしかない」とか「こうしなければならない(なぜなら今までずっとこうしてきたから)」とか、そういう凝り固まった思考の奴隷になっていないだろうか。
人は習慣の生き物だから、習慣なしでは生きられない部分もある。
けれどその習慣は、自分を縛り付けておく鎖になってしまうこともある。(そして多くの人は、その鎖につながれている)
これは人生の無限の可能性を大きく狭めてしまう点で勿体ないし、危険だ。
なぜなら、私が「ザ・シムズ」でそうなってしまっていたように、人生そのものが究極の作業ゲーになってしまう恐れがあるからだ。
毎日同じことの繰り返しで喜びのない人生になってしまってはいないだろうか。
もしなってしまっていて、いつもうんざりしているなら、何かアクションを起こすべきだ。
常識や既存の考えなどの自分が信じてきた変な”思い込み”を捨て、子供の頃のような自由な発想で今の状況の解決策を考えてみよう。
「ゲームと現実は違う」と言う人もいると思うが、本当は現実もゲームと同じなのだ。
自分の思いが、エネルギーとなり、そのエネルギーによってやがて現実化する。
楽観主義の人がいつも楽しそうで、悲観主義の人がいつも悲しそうなのと同じである。
だから思ったことは現実化する。
そして、だからこそ私たちは、もっと柔軟に発想し、物事を見て、考えるべきなのだ。
”現実”という言葉に囚われず、もっと自由に生きよう。
自分の子供の頃の思考や行動を振り返ることは、”大人”になってしまった自分に大きなヒントを与えてくれる。
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