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小説としても楽しめ、哲学書として読むことも出来る『ソフィーの世界』。
今回はそんな『ソフィーの世界』の名言たちを紹介します。
『ソフィーの世界』の名言たち
・人は、いつかはかならず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない、とソフィーは考えた。
ソフィーは、祖母が自分の病気を告げられた日に、似たようなことを言っていたのを思い出した。「人生はなんて豊かなんでしょう、今ようやくわかった」 たいていの人が、いきることのすばらしさに気づくのが病気になってからだなんて、悲しい。みんなが謎の手紙を郵便箱に見つければいいのに。
現実は、私たちの郵便箱に謎の手紙が届くことはありません。
だから、私たちは自分でソフィーが見つけた謎の手紙のように「じぶんって誰だろう」「じぶんは生きている。でも、いつまでも生きているわけではない」と投げかけ続けなければいけません。
・ソフィーは突然、先生はどうでもいいことばかりしゃべっている、と気がついた。どうして先生は、人間とは何かとか、世界とは何かとか、世界はどのようにしてできたとか、そういう話をしてくれないのだろう。学校でもどこでも、みんなどうでもいいようなことにかかずらっている。
たぶんその答えは、先生も知らないからでしょう。あるいは、考えようとしたことがないから。考えても無駄だからというより、考えることが面倒くさくなっているのだと思います。
・いい哲学者になるためにたった一つ必要なのは、驚くという才能だ。わたしたちは子供のうちに、この世界に驚く能力を失ってしまうらしい。それによって、わたしたちは大切な何かを失う。(アルベルト)
「大切な何か」ってなんなんだろう?と考えてみたら、それは「生きる楽しさ」なのではと思いました。
何故かと言うと、驚くことのない人生は味気ない人生だと思うからです。
味気ない人生になってしまった人は、生きる意味を見出せなくなり、何をするにも気力がわかなくなり、それによって結局何もせず、だからやっぱり味気ない人生になる、という無限の退屈なループを繰り返すことになっているような気がします。
・「もちろん、哲学を面白がれなんて、だれもあなたに強制しない。でもね、哲学は大切よ。哲学は、わたしたちはだれか、どこから来たのかってことを考えるの。そんなこと、学校で勉強する?」「どっちみちそんな問題にはだれも答えられないじゃない」「でも、こういう問いを立てるってことだって、わたしたちはまるっきり勉強してこなかったのよ」(ソフィーとヨールーンの会話より)
「問いを立てることに意味がある」という哲学の核心をついた会話です。
考えてみると学校では、答えのあるものばかり学ぶ気がします。
でも世の中って答えがあるものの方が少ない。
どっちが正しいのか分からないことばかり。
ある人から見ての善は、ある人から見ての悪だったりする。
そういうことを考える機会が、学校にも必要なのではないだろうか・・・と思いましたが、学校では無理なような気もしてきました。
何故かと言うと、やっぱり学校は”正しいこと”を教えようとする場だからです。
・ぼくたちはぼくたちの時代だけを生きているのではない。歴史も背負って生きているのだ。きみがここで見ているものはすべて、かつてはピカピカの新品だったってことを忘れちゃいけない。
ソフィーがアルベルトの集めた骨董品を「ガラクタ」と言ったことについてのアルベルトの言葉です。
私は、物でも建物でも古いものを見ると、アルベルトのこの言葉を思い出します。
今私たちが使っている最新のモノもいつかは未来の人たちから「ガラクタ」と呼ばれる日がきます。
けれどその今から見れば「ガラクタ」があったおかげで、最新のモノが作られたのです。
モノだけに限らず、考え方も同じです。
今の時代では当たり前になっている考え方も、昔は当たり前じゃなかったものがたくさんあります。
「それはおかしいんじゃないか」と異議を唱えてくれた人たちのおかげで、私たちはその考え方を当たり前のものとして共有できるようになったのです。
勿論、今でも差別は残っているし、受け入れられていない考え方もあります。
けれど何年後、何十年後、何百年後かには、当たり前になっている考え方が増えているはずです。
こんな風に、私たちはいろいろなものから、歴史のつながりを感じることができるのです。
・ぼくたちはもう、ある町や国のたんなる住民ではない。ぼくたちは丸まる一つの惑星文明を生きているのだ。(アルベルト)
コミュニケーション技術が劇的に発達した現代において、私たちは簡単に地球の裏側の人たちとつながれるようになりました。
様々な問題について、人種や国に関係なく、意見を分かち合うことができます。
そういう意味で、私たちはアルベルトの言うとおり、ある町や国の住民ではなく、一つの惑星文明を生きているのでしょう。
一つの惑星の同じ住民として、みんなで協力してこの住居である地球という惑星を守る必要があります。
・・・・・・けれど実際は?
実際は、国ごと、人種ごと、宗教ごとに争っていることの方が圧倒的に多いと思います。
それは自分をアルベルトが言うように一つの惑星の住民として考えるのではなく、「どこの国に住んでいる自分」という枠組みで考えている人が多いからだと思います。
「ここからここまでは仲間だけど、ここから先は他人」という線引きをしているから、争いが出てくるのでしょう。
結論としては、この線引きをなくしてしまえばいいのですが、なかなかそれはそれで難しい問題だと思います。
家というスケールで見ても、家族とそうでない人との差はやっぱりないとは言えないし、「みんな兄弟だぜ、ブラザー」みたいな考えにも簡単にはなれません。
だけれど、「大きな枠で考えれば自分たちは地球という惑星の同じ住民なんだ」という考えを、たまにでいいから思い出すことができれば、もう少し状況はいい方向に変わっていくと思います。
・だけどつまりは偶然なんだよ。こういう偶然をコレクションする人があとを絶たないということなのさ。偶然を神秘な、あるいは説明のつかない経験と称して集めまくるのだ。本のなかから何十億もの人の人生のそういう偶然をピックアップして集めたら、圧倒的な証拠資料になるだろうさ。しかも資料はどんどん増える。だけどこれも、当たりくじだけ集めたくじ引きなんだよ。
占いはインチキであると考えるアルベルトの言葉です。
答えのないものの答えを見つけようとするのが哲学。
それに対して、占星術はあらゆる事柄を「神秘的な何か」で片づけてしまう。
そういう意味で、占いやオカルトなどは哲学と正反対に位置するものと言えます。
・たとえ白いカラスを見たことがなくても、探すことをやめてはいけないんだ。(アルベルト)
哲学とは、探求すること。
あるものを見たことがないとしても、それだけで「ない」と言い切ってしまう人は哲学者とは言えません。
何故なら「実際に見たことがない」という理由だけで「ない」と決めつけるのは、哲学的な考え方とはかけ離れているからです。
哲学の基本は”問いを立てること”です。
だから「白いカラスはいない」ではなく「白いカラスはいるのだろうか?」と問いを立てなければいけないのです。
大切なことは、「白いカラスはいるのか・いないのか」ではなく、問いを立てること。
そして、それについて自分がどう考えるかということ。
だから最初から「いない」と決めつけるのは、哲学的に考えると、もはやスタートラインにすら立っていないということになります。
この哲学の考え方は、子供は当たり前のように行っています。
「どうしてこれはこうなっているの?」「どうしてこれはこうじゃないの?」と子供に聞かれて、「そうなっているものだから・・・」と苦し紛れに答えた経験はありませんか?
実際、確かに「そうなっているから」なのですが・・・、それだけで済ませてしまうと、そこでもう終わってしまうのです。
それに対して、子供のように「どうしてこれはこうなっているのだろうか?」と今まで当たり前と思っていたものに対して疑問を持ってみると、けっこう頭の体操になりますし、意外な発見が見つかって何かにつながっていったりします。
まとめ
以上『ソフィーの世界』の名言集でした。
こうしてまとめてみると、けっこう考えさせられる言葉が多いと思いました。
それなのに子供でも読めるようになっている・・・。
ある意味恐ろしい本です(笑)
分厚い本ですが、これを読み終えれば今までと世界の見え方が良い意味で変わってくるので是非ともいろんな人に読んで欲しい本です。
それでは~。
『ソフィーの世界』がどういう内容の本なのかは、こちら↓の記事にまとめています。