ぼよよよ~ん、わらびです👻
「わらびは復讐に燃える水牛たちの姿をみて道徳に疑問をもったらしい・・・・・・」
そう・・・そうなの。
最近、草食動物の水牛たちがライオンに子どもを殺され、その怒りが収まらず?復讐のために?ライオンの子どもを殺し返す姿を納めた貴重な映像を観た。
これ⬇
そんな水牛たちの姿を見て自然と心に思い浮かんだこと。
野生動物も怒ったりするんだ。そして・・・・、
道徳って一体なんだ?
道徳が本当に正しいことなら、水牛たちは復讐したりしないと思うから。
でも水牛たちはライオンたちに復讐した。
草食動物だからライオンの子どもを殺しても、食べたりするわけでもないのに、わざわざ危険を犯してまで復讐した❗
野生動物たちは理性ではなく、本能で行動している。
そして本能は自然である。
ということは、復讐することは本能であり、自然なことである。ということにもなる。
でも、道徳ではそうは教えられない。
道徳では、自分の子どもをたとえ殺されたとしても、相手の子どもを殺し返してはいけないと教えられる。
じゃあ、水牛たちはどうなるの?
もしかして、道徳って支配者たちが民衆を都合良くコントロールするために、民衆に吹き込んだ📢ものなんじゃないの?
そんな疑問がわいてきた。
儒教が実はそのために利用されていたとも言われている。だって政府から保護され国教にまでされたんだよ。わざわざ保護して国教にまでするってことが妙でしょ。
日月神示は私はとても良い教えだと思うけれど、多分絶対にこれからも保護され国教になったりしない。むしろ日月神示は弾圧された歴史さえ持っている。なんでそんなことになったかって、政府にとって都合の悪い内容だからでしょ。税金も取らない、警察もいらない、裁判所もいらない、酒も自由に作れるようになる、みんな嬉し嬉しで暮らせる社会、そんなの実現したら困るでしょ。
だから逆に国から保護されるってことは、その教えの内容が国にとって、もっとはっきり言えば支配者にとって、都合の良い内容だからということだよ。
野生動物の世界に例えると、この世界システムの構造は、支配者たちがライオン🦁そして民衆が水牛🐮と考えることができる。
そうすると、道徳がなければ、支配者たちはライオンのように民衆に復讐🔥🔥される恐れがある。
ライオンは強いけれど、数で勝る水牛たちが一度に束🐃🐃🐃🐃💨で襲いかかってきたらかなわない。
それはこの世界の支配者たちも同じ。支配者たちは1%、残りの99%が民衆。
みんなが一つになって一気に立ち向かえば、立場は簡単に逆転するんだよ。
それは野生動物たちが教えてくれている。水牛たちもよくはぐれて1匹になった時にライオンに襲われるでしょ。逆に群れている時は襲われにくい。それは支配者たちも分かっているから、今は特に日本では敗戦後から分断工作(分割統治とも言う)がされている。昔は村全体で一つの組織のような形が出来ていたけれど、今は一世帯ずつになっている。
”分割統治とは、ある者が統治を行うにあたり、被支配者を分割することで統治を容易にする手法であり、分断統治や分断工作とも呼ばれる。 被支配者同士を争わせ、統治者に矛先が向かうのを避けることができる。” Wikipediaより
話を元に戻して、
だから道徳という教えを民衆に浸透させることで、水牛のように復讐することがないようにした。これで支配者たちは安心して暮らせるようになった。
道徳って、実はこうなのではないの?
そう思って、「道徳」という言葉を辞書で調べてみた。
すると明鏡国語辞典にこんな風に書いてあった⬇
「社会生活の秩序を成り立たせるために、個人が守るべき規範。」
やっぱり!
「社会生活の秩序を成り立たせるために」って書いてある。
この”社会生活の秩序”ってところが味噌。(あなたは何味噌派?わたしは・・・。)
だれのための秩序かってこと。
それは勿論、この世界を支配している支配者たちのための秩序ってことになる。
水牛たちみたいに復讐しに来たら恐いから、道徳という観念を民衆に吹き込んだ📢❗❗🧑👩
「洗脳キャンプ🏕」と言われている学校🏢でも、小学一年生から道徳の授業が組まれているのも、恐らくそれが理由なんだろう。
実際、わたしの時もそうだったけれど、小さい頃って野生の動物たち🦝のように、理性ではなく本能で行動しているから、やられたらやり返すなんてことはよく起きる❗
わたしの保育園でも「噛みつき事件😾」が発生したことがあって、怒ったらすぐ相手の腕に噛みついて、噛みつかれた人も怒って噛みつき返して、本当にしょっちゅう噛みつき合いが発生していた😂おかげで腕がいつも歯形だらけに😂
それはなんでそんなことをするのかと言われたら、それが本能だったからなんだと思う。
まだみんな小さくて変に教育もされていなかったから、思うままに行動した結果、噛みつき祭り😾が起きていたのだと思う。
でも当然、ある日先生が🙍♀️「噛みつくのは駄目!噛みつかれても噛みつき返してはいけない!噛みつかれたらやり返すんじゃなくて、先生に言いなさい」と言ってきた。
今思えば、これが教育であり、道徳の一歩だった。
先生はそんなつもりはなかったのかもしれないけれど、やっぱりしょっちゅう噛みつき祭り😾が発生するより、やられてもやり返さない大人しい子どもたちの方が扱いやすいよね😂
でも、これは推測することしかできないけれど、先生が「噛みついちゃ駄目」と注意していなかったとしても、いずれ噛みつき祭りは自然に収まっていたと思う。
なぜなら、けっこうみんな疲れていたから😂もちろんわたしも🤣
ちょっと嫌になりはじめていた雰囲気は全体的にあった🤣
水牛たちがむやみやたらに復讐しないのと同じで、疲れることは動物は自然にしない。
人間も動物だから、すすんで疲れるようなことはそうそう選択しない。(運動💪ってなかなか習慣にすること出来ないよね❓)
だからいつかは自然に収まっていたと思う。
「右の頬をぶたれたら、左の頬も差し出しなさい。」という教えを信じて、そうしているのは人間だけ。
子どもを殺されて、さらにもう一頭子どもをライオンに差し出す野生の水牛はいない。
右の頬をぶたれたから、相手の右の頬をたたき返したら、最初に叩いてきた人間が、叩かれる痛みを知って、次からは叩くことをやめたりする。
ここに道徳は存在していない。ただ自然にそうなるだけ。
だから道徳という教えなんてなくても、自然と最適な状態✨✨になっていくのだと思う。
自然の風景が美しいように、風景に限らず自然というものは絶妙なバランスでもって、完璧な状態になっている。
それに、野生動物はどうかは分からないけれど、人間には良心があって、それによって、例えば復讐したのにスッキリしなかったり、逆に罪悪感を感じて嫌な気持ちになったりする。
わたしはよくこうなる😂
喧嘩して、それで勝っても、スッキリしたことはない😂いや~な気持ちが地面にこびりついたガムみたいに心の中に残ってしまう。
そして私の致命的な欠点❓は、私が本当に心の底から誰かを憎んだり😡腹を立てたり🤬するとほぼ必ず体調を崩して痛い目に遭うこと😂ようするに自爆❗😂
だから、嫌なことをされても水に流す努力をしている。なかなか難しいけれど。
それは自分が楽に生きるため。なるべく心穏やかに暮らしたいから、そういう努力をする。
これも道徳だからじゃない。自分のため。
だからそういう意味でも、道徳教育がなければ、人間社会が常に戦場と化すわけではない。
そうであるのに、わざわざ道徳という教えを民衆に浸透させたのは支配者たち🧛♂️のエゴ(都合)でしかない。
反逆されるのが恐いから、道徳をつかって水牛🐮である民衆たちから角や牙をあらかじめ抜いたのだ❗
いや、角や牙を抜かれたたけじゃない、調教された馬🐴のように、精神まで歪められ、不自然な人間になった。日月神示でいう「ふにゃふにゃ腰人間」に❗
例えば極端な話、「愛する人を殺され、その復讐のために人を殺したことがある人間」と、「誰も愛したことがなくて、人を殺したこともない人間」、どちらの人間の方が信頼できる❓と質問されたら、わたしは前者の人を選ぶ。
だって前者の人の方が、人間味があると思うから。
わたしは今のところ、一番理想的な人間像っていうのは、聖人君子🧙♂️✨のような人ではなくて、清濁併せ持った人間だと思っている。
悪いところもあるけれど、どこか憎めない人、心にいつも葛藤を抱えている人、その葛藤と戦う勇気を持っている人、そんな人が一番人間味があって、人間味があるってことが人として大事なことなんじゃないかと思っている。
だって人間味がないってことは、人間なのにAIとかロボット🤖みたいってことでしょ❓
でもそれなら人間である必要がないでしょ。AIやロボットは存在しているのだから、人間がわざわざAIやロボットみたいになる必要はない。
人間👩🧑として生まれたのなら、やっぱり人間であることに意味があると思うの。
そんな「人間」から「人間らしさ」を奪うもの、それが実は「道徳」なんじゃないかということ・・・。
「道徳」の真の存在理由がそうだとしたら、人間として生まれたその「らしさ」を守るために必要なことは、「これが正しい」「こうするべきだ」「こうしなければならない」と教え込まされてきた📢❗👩🧑あらゆる概念を一つ一つ全て取り払っていくこと、こうして野生動物🦁🐮のような本来の自然な姿に戻っていくこと、小さかった頃のような気持ちを取り戻していくこと、これが大切なことなんじゃないのかということ。
そんなことを、怒りに狂い復讐を実行させた水牛たちの姿を見て考えさせられた。
追記📝
数の力🐃🐃🐃💨💪がどれだけスゴイかってことは⬇の黒澤明監督『隠し砦の三悪人』の予告編の冒頭の約30秒を見るのが分かりやすい。
「Hidden Fortress | 1958 Trailer – Toshiro Mifune, Misa Uehara, Minoru Chiaki」(YouTube)
鉄砲相手にほぼ裸でこん棒だよ。でも圧倒的に数が多いから鉄砲隊も逃げ出さずにはいられない。まさにライオンと水牛みたいだよね。