『あしながおじさん』の名言集

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あしながおじさん(新潮文庫)

こんにちは、わらびです。

小説『あしながおじさん』を読み終えたので、心に残った名言を記しておこうと記事を書いています。

名言を紹介する前に『あしながおじさん』がどんな内容の本なのかを簡単に紹介します。

『あしながおじさん』の簡単なあらすじ

両親がおらず孤児院で過ごす少女ジルーシャ・アボット。そんなジルシャー(ジュディ)にある日突然知らない男性から大学費用を援助してもらえることに。陰鬱な孤児院の外に出られ喜ぶジュディ。けれどその優しい男性っていったい誰なのでしょうか?大学費用を援助してもらう唯一の条件は、学校生活の進捗状況を手紙に書いて伝えること。ジュディは約束を果たすため、この心優しい見知らぬ男性を「あしながおじさん」と呼び、定期的に手紙を送り続けます。さて、「あしながおじさん」の正体は分かるのでしょうか・・・?

以上が『あしながおじさん』の簡単なあらすじになります。

さぁ、これからいよいよ『あしながおじさん』に登場する素敵な名言たちを紹介します!

『あしながおじさん』に登場する名言たち

立派な精神を必要とするのは、人生の大きな難局に直面した場合ではないと思います。誰だっていざとなれば勇気をふるって、大悲劇に立ち向かうことができますが、日常のつまらない災厄を笑って切りぬけていくには、よほどの精神が必要です。私はこれからそういう精神を養っていくつもりです。私は人生をすべてゲームと見なして巧妙にそして公平に処していかなければならないと思っています、もし負けたら肩をすくめて笑います―勝っても同じこと。

確かにジュディの言う通り、大きな悲劇に直面したときは、火事場の馬鹿力のような精神で、誰でも意外とあっという間に切りぬけられるような気がします。

それよりも人の精神、心の器が試されるのは、日常のつまらない災厄なのでしょう。

日常に起こる嫌な出来事に対し、愚痴をこぼしたりせず、いかにユーモアを持って笑顔で接することができるか。これには、大きな心のゆとりが必要です。

ジュディは立派な精神を養うため、人生をゲームと見なしていくとのこと。

それはつまり、自分の人生を客観的に見つめることです。

自分に降りかかる出来事をゲームのように客観的に見つめることができれば、どんなことでも笑って対処できるような気がします。


ありがたいことに私は誰からも神様を相続しませんでしたわ!だから私は勝手に自分の好きなように神様をつくりあげることができます。私のは親切で思いやりがあって想像力に富み、罪はゆるしてくださるし、理解があって、その上ユーモアを解する神様です。

厳しい戒律のある宗教に対してのジュディの言葉。

「神様を相続しなかった」という表現がとても面白いです。

けれど、わたしもジュディのように神様というのは、人それぞれオリジナルでつくりあげていいのではないかと思います。

その方が愛着も湧きますし、受け入れやすいと思うからです。

結局どの宗教も根源的な教えは共通していて同じなので、根本の思想さえ一致していれば、あとの細かいことなどはそんなに気にすることはないと思います。


あのねえ、おじ様、私は誰にとっても最も必要な要素は想像力だと思いますのよ。想像力は私たちをほかの人の立場に置きかえさせてくれます。そうすれば誰でも親切で同情深くて理解を持つことができます。子供たちに是非とも想像力を培うべきです。ところがジョン・グリア孤児院ではちょっとでも想像力のひらめきが現れると直ぐに踏み消してしまうのでした。あそこで奨励するのは義務だけでした。私は子供たちには義務なんていう言葉の意味を知らせるべきではないと思います。義務なんて気持ちの悪い厭な言葉です。子供たちには何事も愛の気持ちからするように教えなければならないと思うのです。

これはジュディの意見に限らず、他の本でもよく書かれていることです。

他者を理解するために一番大切な要素は想像力

あらゆる不理解は全て想像力の欠如なのです。

自分の立場で意見を述べれば相手と衝突します。

人は誰でも自分の気持ちを理解して欲しいのです。

想像力を働かせ相手の立場に立とうと努力をすれば、自分と相手の思考のズレを縮めることができます。

ジュディは「ジョン・グリア孤児院は想像力のひらめきが起こると直ぐに踏み消す」と言っていますが、これは現実の学校でも起きていることです。

教科書に載っていないことはやってはいけない、ひらめいてはいけないのです。(これは、わたしも経験しました)

子どもたちに義務だけを教えるなんて間違っていると思います。

子どもたちに必要なことは、ひらめきであり想像力なのです。


世の中には幸福が満ち溢れていて、自分の前にきたものを何でも受け入れる気にさえなれば、誰にでもまんべんなく行きわたるだけ、十分にあるのです。ただそれを受ける秘訣は素直な気持ちでいることです。ことに田舎には楽しいことがたくさんあります。私は誰の土地でも自由に歩くことができますし、どこの家からの眺めでも思うままに眺められますし、誰の小川でもじゃぶじゃぶ水あそびができます。そしてまるで地主になったような気分を味わうことができるのです―しかも一文の税金も払わずに!

ジュディは「世の中は幸福に満ち溢れている」と言います。ただし、その幸福を受け取るには「素直な気持ちでいる」ことが必要とのこと。

素直な気持ちを忘れて、何もかもが当たり前になったとき、人は幸福を見失います。

幸福とは追求するものではなく気付くことです。

それにはジュディの言うように「素直な気持ち」が必要なのです。

後半の田舎風景は素敵です。

それと正反対に都会は何もかもが不自由です。

都会の”楽しさ”はお金がいりますが、田舎の楽しさはほとんど無料です。

この差ってなんなんだろうと、いつも自然の中に出かけては考えさせられます。

けれど本来は全部”田舎”だったんですよね。


おじ様、私は幸福になるほんとうの秘訣を発見しました。それは現在に生きることです、いつまでも過去のことを悔やんだり、未来を思いわずらったりしていないで、今のこの瞬間から最大限度の喜びを捜し出すことです。これはちょうど農業のようなものです。粗放農業と集約農業とありますが、私は今後集約的生活をするつもりです。私は一秒一秒を楽しみ、しかも自分がそれを楽しんでいることを自覚しているのです。たいていの人は生活しているのではなく競争しているのです。地平線の遥か彼方の決勝点に一刻も早く着くことばかりに熱中して、息を切らせてあえぎながら走って自分の通っている美しい静かな田園風景など眼にも入らないでいるのです。そのあげくにまず気がつくことは自分がもう老年になり、疲れ果ててしまい決勝点に入ろうが入るまいが、どうでもいいことになっているのです。私はたとえ大作家になれなくてもかまいませんから、人生の路端に坐りこんで、小さな幸福をたくさん積みあげることにしました。

「幸福とは現在に生きること」この秘訣を農業に例えているのが面白いです。

「たいていの人は生活しているのではなく競争している」これは事実そうだと思います。

あの人より自分はマシだ、こっちの方が良いとか、他人と比べて幸福を考えている人が本当に多い気がします。

でも比較しても、上には上がいるんです。

比較競争にはキリがない。

だから多くの人は、勝てる人とだけ比較競争しているのだと思いますが、これはとても虚しく、悲しいことです。

「幸福とは現在に生きること」そして「決して他人と比較しないこと」なのです。


そんなことは断じて真実でないと承知していながら、眼を天に向けて「これもみんなよかれと神の御心でございます」なんていう人を見ると、私は腹が立ってならないのです。服従というのか、忍従というのか、そのほか何というのか知りませんが、あんなのは意気地なしの不精にすぎません。私に向くのはもっと戦闘的な宗教です!

不幸な状況にありながら神を信じる信仰心の深い人に対するジュディの怒り(笑)

ジュディの言う「戦闘的な宗教」はとても力強く前向きです。


若さというものは幾度もめぐりくるお誕生日とは関係ありません。精神が溌剌としているかどうかが問題なのです。ですからたとえばおじ様の髪の毛が真っ白だとしても、その気にさえおなりになれば、まだ少年でいらっしゃることがおできになります。

これもよく言われることですね。

わたしも同じ意見です。

若さは年齢ではなく、精神が大きく関係していると思います。

どんなに若くても、現実に対して絶望的で精神が病んでいたら、それは若いとは言えないでしょう。

逆に、高齢の方でも自分の好きなことに対して情熱を燃やしていると若いと感じます。

そういう意味で年齢は忘れているくらいでちょうどいいと思います。


私は、自分たちが幸福であることを知らずにいる少女たち(たとえばジュリアのように)をたくさん知っています。その人たちは幸福に馴れすぎて、幸福に対する感覚がにぶくなってしまっているのです。ところが私は、自分の生涯の一秒一秒が幸福だということをはっきり意識しています。私はこれから後も、たとえどんな不愉快な目にあっても、この気持ちを持ちつづけるつもりです。私は不愉快なものはすべて、興味ある経験とみなしていくつもりです。歯痛でさえも、どんな感じのものか知ることができてうれしいと思うでしょう。

「幸福に馴れすぎて、幸福に対する感覚がにぶくなっている」なんて悲しいことです。

幸福に対する感覚がにぶくなれば、不幸になるだけ。

幸福とは先にも挙げましたが「気づくもの」だからです。

ジュディは「どんな不愉快な目にあっても幸福の気持ちを持ちつづける」と言います。

「歯痛でさえも、どんな感じのものか知ることができてうれしいと思うでしょう」という考えは、なかなか多くの人は持つことができない考えだと思います。

けれどこれこそが、幸福に気付く秘訣なのでしょう。


何かを望んだ場合に、それを熱心に求め、努力をつづけていれば、最後には必ずその望みが遂げられるものです。

「努力は必ず実る」それが正しいかは分かりませんが、このジュディの言葉は何かに挑戦している人にとってはとても励みになる言葉です。

実際にジュディは、その力強い信念でもって望みを叶えていきます。

まとめ

以上『あしながおじさん』の名言たちでした。

気に入った言葉はありましたか?

『あしながおじさん』、素敵な本なので読んだことがない方は是非読んで見てくださいね。

最期までお読みいただきありがとうございました(^〇^)

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