みなさん、こんにちは。わらびです。
まず記事の本題に入る前に・・・、
今までブログ問い合わせページから、「マンガ楽しみにしています」や「記事の更新を頑張ってください」という応援や励ましのメッセージを送ってくださった方々へ、お礼申し上げます。ありがとうございました。励みになります。現在個別にお返事を書くことは行っていないので、このような形でお答えさせていただきました。届いたメッセージは全てありがたく読ませていただいています。
さて、今回は真面目な人ほどハマってしまう罠ーその名も「善人の罪」について紹介します。
善人の罪とは、名前の通り「善人」が犯してしまう罪、あやまちになります。
善人とは、真面目で、心がやさしい人のことです。
悪人は数多くの罪を犯しますが、今回紹介する「善人の罪」は、悪人が犯してしまうことはめったにありません。
ではいったい善人の罪とは何か。
それは、心が弱く、小さなことに物を苦にし、心を痛めることです。
「あの時にこうすればよかった」
「あの人に悪いことをしてしまった」
「ああ、やっぱり自分は駄目な人間だ」
と、自分を責めることです。
自分に厳しくて良いではないか、何故これが罪になってしまうのかと思う人もいるでしょう。
わたしも初めて「善人の罪」を知った時は、そう疑問に思いました。
自分を責めてクヨクヨ悩むことが罪である理由とは、次のようになります。
天地には、大生命力を発揮して片時も休むことなく、生命の道、ムスビ(産霊)の道があります。
<語彙メモ↓>
産霊(むすひ)とは、神道における観念で、天地・万物を生成・発展・完成させる霊的な働きのこと。
「ムス(産)」には”生み出す”、「ヒ(霊)」には”神霊の神秘的な働き”という意味がある。
つまり、「ムス」力を持つ「ヒ」とは、「万物を生みなす不思議な霊力」すなわち「物の成出る」はたらきをする「物を生成することの霊異なる神霊」を意味する。
天地の生命の道は、川の流れのように、一瞬一瞬、常に流れ続けており、これこそが自然の摂理なのです。
しかし、クヨクヨいつまでも思い悩むことは、停滞を意味し、常に動き続けるという天地の摂理に反します。
だから罪になるのです。
さらに、私たち人間には神様の「分け身魂」が宿っています。つまり、そういう意味で、わたしたちは神の「ご分心」なのです。
そして「罪」とは「包み」と同義語です。
つまり、クヨクヨし思い悩むことは、神様の「ご分心」である自分の心をマイナスの想念や行為で包み隠して、本来の自在力を発揮させないことになります。
<語彙メモ↓>
自在力とは、物事を見通したり、思いのままにしたりする力のこと。
すると、結果として、波動が低くなり、不幸・不運になり、最悪のケースとしては死に至ります。
「いい人ほど早く死んでしまう、いったい何故なのか」と疑問に思ったことはありませんか。
その答えは、この「善人の罪」なのです。
自分を責め、自分の心を痛めると、神の「ご分心」を包み隠してしまうので、本来の力を発揮できず、波動が下がり、不幸・不運を自ら招いてしまうのです。
だから、「いい人」ほど病気になりやすい一方で、他人の悪口を言いまくり、それを何の気にもとめない「わるい人」の方は、自分を責めることはないので「善人の罪」はつくらず、結果として「いい人」より長生きすることがあるのです。
なので、「いい人」「真面目な人」「心のやさしい人」は要注意です。悪いことはしていないつもりでも、知らず知らず「善人の罪」をつくってしまっていないか立ち止まって考えてみてください。
・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・と書きつつ、実はこれは私自身の大きな課題でもあります。
私は自分が「善人」だとは思っていませんが、自分の欠点と向き合うたびに、それを克服するために本を読み、知識を学ぼうとするのですが、学んだ知識を実践できず、逆に腹を立てたり、失敗したりして、その度に「ああやっぱり自分は駄目だ。学んだ知識を、実践できないから」と自分の精神の未熟さを突きつけられ、それに愕然とし、クヨクヨし、自暴自棄になることも多々あります。(恥ずかしいですが、ほんとうなのです・・・)
このブログを古くから知っている方なら、お気づきだと思いますが、当ブログは記事の更新が滞ることが多々あります・・・。(更新を楽しみにしてくださっている方、申し訳ございません・・・。)その記事の更新が滞っている期間というのは、実はだいたい私が自分の弱さや情けなさに直面し、悩んだりしている時なのです。
「こんな知識を実践できない自分が、記事を書いていいのだろうか」「書いている本人が実践できてなくてどうする!」「こんな自分が何をやっても駄目だし、無駄だ」など様々な葛藤が心をいっぱいにし、自分で自分のことが情けなく、嫌になり、モヤモヤしながら、また本を読み、また失敗し、モヤモヤ!の繰り返しなのです。
わたしは恐らく平均より、本を読む方だと思いますが、それはそれだけ、自分の精神が未熟で、それが自分でも分かっているから、知識を欲っしているのだと思っています。けれど、大切なのは知識ではなく、実践です。そして実践することがもっとも難しく、それが出来ずに自分の精神を発達させるどころか、自分の未熟さと向き合わされる・・・・。
それで自信をなくし、「こんな自分は記事を書く資格がない」と思ってしまう。
けれど、本を読んで素晴らしい知識や考え方に出会うと、その情報を発信したくなる。本を読む習慣がない人が、こんなにいい考え方を知らずに終わるなんて勿体ないと思うと、記事を書きたくなる。
そうやって、モヤモヤしたり、悩んだりしながら、現在に至っています。
だから、善人の罪を初めて知った時はハッとしました。
知ったからにはクヨクヨしないよう、自分を責めないよう実践・・・・、しなければならないのですが、これが生まれ持った性格なのか、いったいなんなのか自分でも分からないのですが、どうしても気付くと善人の罪をつくってしまっている自分がいるのです。
なので、自己啓発の世界ではよくあることなのですが、「言うは易く、行うは難し」なのです。
だから、今回の記事を読んで、「善人の罪」に心当たりのある方は、私みたいな人間がいるんだと思って安心してください(笑)
それで実践することは難しいですが、だからといって諦めずに、少しずつ頑張りましょう。
本を読んでは、実践できずに失敗の連続すぎて、自分は本当に精神を磨くことができるのかと、疑問に思う毎日なのですが、やっぱり諦めたくはないのです。
なので、これからも懲りずに学び続け、実践できるよう努めます。
こんなこと書くべきなのか迷いましたが、今回のテーマは私にとって大きく関係していることだったので、良い機会かもしれないと思い、正直に思いを綴ったしだいです。
これを機に、これからは今までの情報発信に加えて、自分の失敗談やモヤモヤ、その他の思いについても触れていこうかなぁ・・・と思っています。(恥ずかしいですが・・・)
最後に、この「善人の罪」に、死の淵を彷徨うことで、身をもって気付いた黒住宗忠の言葉を紹介して終わります。
”石川五右衛門は盗賊で、決して世人の手本にすべき人間ではない。しかし、あの心の強いところだけは学びたいものである。人に悪人はなし。悪人と申す者は、心の強きものにて、心の力余るだけのものが悪をいたすなり。その悪を止むればほんとうの善人なり。今、善人と申すは、心弱き者ゆえ、悪をもようせぬなり。強きところを悪人に学んで、我が正しき道を守らば。それが真の道人なり。” 黒住宗忠/日本の神道家 1780~1850
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回の参考文献はコチラです↓

太陽の神人黒住宗忠
一冊まるまる勉強になる本でした。オススメです。特に日月神示などに興味がある方は、是非コチラも読んでみてください。
なんと続編もありました!よっ・・・読みたい。

太陽の神人黒住宗忠 続