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わらびです。
死んだら天国に行きたいと願う人はいますが、そもそも天国は存在するのでしょうか。
今回は、日月神示から「天国」について書かれている部分を抜粋し、紹介します。
日月神示ってなに?という人はコチラの記事からどうぞ↓
天国に行くには現実世界に天国を築く必要がある
天国は霊だけが住む場所ではないのじゃ。~現実の世界を離れて天国だけの天国は無いのじゃよ。だからこそ、現実の世界で天国を生み出し、天国に住めない者が、死んでから天国に住めるわけがないのじゃよ。~善悪とか真偽とか愛憎とか言うのは相対する天国じゃ。誠の天国には喜びのみが生きているのじゃからな。(第二十五巻 白銀の巻 第3帖)
日月神示によると、どうやら天国は存在するようです。
けれど、私たちがよくイメージしている天国とは少し違います。
現実の世界と天国はつながっているそうです。
だからこそ、現実の世界で天国に住めない人は、死んでから天国に行きようがないとのこと。
「楽を求めるのは悪いこと?」で紹介しましたが、正しいとか正しくないとか、それよりも喜びに生きることが大切なようです。
死後のみ説く宗教はゼロの宗教じゃ。くれぐれも迷うでないぞ。この世で天国に住めない者が、天国に行けるわけないと言っておるじゃろう。(第二十六巻 黒鉄の巻 第21帖)
天国に行くには、まず現実の世界に天国を生み出す必要があるので、死後の世界だけを説く宗教は偽物のようです。
極楽行きは確定だけど極楽にも二つある
人間の死後は自分の命に最もふさわしい状態におかれるのじゃよ。悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのじゃ。そうじゃから、みんなにとって極楽行きじゃよ。けれど極楽にもピンからキリまであるぞ。神の旨に添う極楽を天国と言い、添わぬ極楽を幽界と言うのじゃ。(第二十六巻 黒鉄の巻 第38帖)
人はみんな極楽行き。
でもそれはある意味で極楽というわけで、現実の世界の生き方に注意していないと、死んでからとんでもない極楽に行くことになってしまうようです。
悪が好きなら悪の極楽。苦労好きなら苦労の極楽。心配性なら心配だらけの極楽。
それって本当に極楽なのでしょうか。
想像すると少し怖いです。
変な極楽ではなく、多くの人が理想とする天国と呼べる極楽に行くには神の旨に添うことが条件とのこと。
神の旨に添うとは喜びの道に生きることです。
神は苦しむことが嫌いなのです。
だから喜びに生き、笑顔で人生を送る必要があります。
そして喜びの道に生きることが、現実世界で天国に住むことであり、死んでからも天国に住める条件なのです。
まとめ
天国は存在する
死んでから天国に住む条件は、現実世界で天国に住むこと
→喜びの道に生きること
自分の命にふさわしい極楽に行く
→変な極楽に行かないために、人生の生き方、考え方を見直そう
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