蝋燭の薄暗い光のもとで夜に衣服を脱ぐとき、我らが兄弟たちは無言のままだ。彼らは自分たちが思っていることをあえて口に出したりはしない。なぜならば、すべての人間が、すべての人間に同意しなければならないが、彼らが考えていることがすべての人間の考えと同じであるかどうかわかるはずはない。だから、彼らは自分の思いを話すことを恐れている。それゆえに、消灯で蝋燭の光が消えるとき、彼らはホッとして嬉しい。
アイン・ランド『アンセム』(1946年)より
大勢の人間に囲まれながら孤独を感じる社会
超平等社会が到来したら人間の交流もなくなるだろう。
なぜなら、人は一人ひとり違う考えをそれぞれ持っているのが当たり前なのに、その違いが社会によって認められないからだ。
超平等社会では、思想は統一されているから、すべての人間は同じ考えでなければいけない。
しかし、それは本当の意味では無理なため葛藤が生じる。
「自分はこう思っているけれど、相手の意見と違ったらどうしよう」と絶えず自問自答を繰り返し、結果的には、交流しないという安全な選択肢を選ぶことになる。
世の中の全ての人間が「社会の中の孤独」を感じながら生きることになる。
喫煙よりも害が大きい孤独
思想は統一され、すべての人と分かりあえる時代が到来したはずなのに、統一される前より、相手が何を考えているのか分からず、それ故、他人を信じることができず、常に緊張感や閉塞感を感じる。
精神的なストレスは病気の最も大きな要因だから、多くの人が病気を患い、不健康な社会になる。
超平等社会では、人間が生きていくための最低限の栄養は保証されているのに、精神的ストレスが原因で病人が溢れることになる。
そうなるのは、人間の交流が絶たれたからである。
孤独が健康に及ぼす害は喫煙に匹敵する。
孤独による精神的ストレスを前に、小手先だけの栄養学は通用しない。
「孤独」は「喫煙(1日15本)」に匹敵。「過度の飲酒」(アルコール依存症)の2倍、「運動不足」や「肥満」の3倍健康に悪い。孤独の人は、そうでない人と比べて、死亡率が1.3~2.8倍。アルツハイマー病のリスクが2.1倍、認知機能の衰えが20%アップ。うつ病2.7倍、自殺念慮が3.9倍。(参考文献『ブレインメンタル強化大全』)
交流に必要な条件
交流には、「違いはあっても当然だ」という前提が必要である。
他者と違うことを言っても罰を受けたりしないと分かっているからこそ、人は自分の意見を言えるのだ。
そして多くの人は、とにかく自分の話を聞いて欲しいと思っているのだ。
しかし、「違いはあっても当然だ」「人と違うことを言っても罰しない」という前提がなければ、ほとんどの人は口をつぐむ。
そうして言いたいことも言えず、社会の中の孤独を感じ、病を患い、孤独に死んでいく。
これが思想が統一されたら、どうなるかという答えである。
金色だけの世界と無限の色に溢れた世界
そもそも思想の統一は無理なのだ。
人はみんな違う。
千人の人がいたら千の考えがある。
違いがあるという前提の下で、違いを認めることが大切だ。
たとえその違いに同意できなくても、違いを違いとしてそのまま認めること。
世の中は様々な色に溢れているから美しい。
たとえ、白色だろうと、金色だろうとしても、それだけの色しか認められず、存在しない社会だとしたら、それはもはや白色でも、金色でもない。
無限の数ほどにもある色を、なぜわざわざ一色にしなければならないのか、一色にしたがる者の側に立てば見えてくるものがある。
それは邪魔だという考えだ。
一色にしたい者にとっては、その色以外は邪魔なのである。
だから、一色にしたい者は、もっとも美しいと思われている色を選んで大衆に呼びかけてくる。
それに騙されて多くの人が賛同する。
そして社会が全て金色に塗られた後に、他の色が使えないことの不便さに気づく。
その時には、もう遅い。
色を守ろう。
考えの違いを認めよう。
それが結果として、自分たちを守ることにもなる。
アンセム