無駄に見えるものが本当は無駄ではないかもしれない

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みなさん、こんにちは。わらびです。いつも記事をお読みいただきありがとうございます。

花は野菜のように食べることはできませんが、もし花の無い世界があったら、それはとても寂しすぎる世界なのではないか、そう考えることがあります。

食べることはできないから、花は人間にとって生きていくためには必須のものではないけれど、花を見ると心が落ち着いたり、和んだりする。

必須のものじゃないけれど、実は水や空気と同じくらい、人間にとって欠かせない何かを、花は持っているのではないかと思います。

実用的に考えれば、好きな人に送るプレゼントは、花より野菜などの食料や、その他の生活必需品という手もあります。

けれど、野菜や生活必需品は確かに役に立ちますが、花をもらった時の嬉しさとは何か違います。

花はいつかは枯れてしまうし、食べることもできないし、食器を洗うこともできないけれど、花をもらった時の感動は、他の実用的な物では再現できません。

今の社会は、実用的なものばかりに価値を置いて、一見無駄に見えるものは徹底的に削ぎ落としていっているように感じますが、削ぎ落としているのは実は無駄なものなんかじゃなくて、花のような、実はとても大切な何かなのではないかと思ったりしています。

実用的なものは確かに便利で役に立つけれど、味がないと思います。

絵も家に飾ったところで、別に何も役には立ちません。

けれど、壁に絵が一つ飾ってあるだけで、不思議と家に味が出るんです。

まぁ、どんな風に味が出るのかは、絵によりますが、明るい絵だったら、その絵を飾った家も明るくなる、絵にはそんな効果があります。

今は手紙を送る人も減ったと思いますが、手紙も、よほど達筆な人でない限り、パソコンで文章を書いて、プリンターで印刷する方が、綺麗で読みやすい字になります。もしくは、そもそもメールで済ませれば、もっと簡単で便利で早いわけです。

けれど、手書きで書かれた手紙というのは、プリンターで印刷したり、メールでは伝えられない何かを伝えることができる。

効率的かどうかだけで考えれば、今このデジタル化が進んだ時代において、手書きで手紙を送るというのは、とても非効率です。

そういう意味では無駄でしょう。

しかし、この無駄の中に、実は無駄ではない、人間が本当は実用的なものよりも、求めている何かが詰まっているんです。

花に、絵に、手書きで書かれた手紙に、そして浜辺に座って波の音を聞いたり、森の中で風の音を聞いたり、朝日や夕日を眺めたり、気持ちの良い天気のなか芝生に座って日光浴を楽しんだり、そんな効率や実用性から離れたものの中にこそ、人間にとって欠かせない、いや、欠かしてはいけない大切な要素が詰まっているんです。

これらの味を、無駄だといって削ぎ落としていった先に待っているのは、味気のない人生です。

味気のない人生は、その名の通り、味わえませんから、退屈で虚しさを感じる人生だと思います。

だから味はとても大切なんです。

そしてその味は、いっけん無駄に見えるものの中にあります。

そんな、削ぎ落とされがちな味を大切に生きていきたいものです。

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。

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