日月神示に相談しよう:神について

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日月神示と神

わらびです。

なかなか大変な世の中ですが、神っているのでしょうか。

もし神がいるなら、どうして世の中はこのようになっているのでしょうか。

そして神示を読む理由はなんなのか。

今回は、日月神示から「神」「神示」について書かれている部分を抜粋し、紹介します。

日月神示ってなに?という人はコチラの記事からどうぞ↓

「日月神示は面白い」

神には人間の善悪観念はない

神がこの世にいるならこんな乱れた世にはしないはずだと言う者は沢山いるが、神には人の言う善も悪も無いのじゃよ。よく心で考えてみるのじゃ。何もかも分かってくるぞ。表の裏は裏、裏の表は表だと言っておるじゃろう。一枚の紙にも裏表があるのじゃよ。~神心になれば何もかもハッキリと映ってくるぞ。その道理が分からずに理屈ばかり言っておるが、理屈の無い世に、神の世にして見せるぞ。言挙げしない国とはそのことじゃよ。理屈は外国のやり方なのじゃからな。(第一巻 上つ巻 第20帖)

「神がいるとしたらどうしてこんな世の中に・・・」そんな悲痛な嘆きの答えは、「神の世界には人間の善悪が無いから」のようです。

「一枚の紙にも裏表がある」と書いてあるように、表だけで存在する紙も、裏だけで存在する紙もないのです。

紙だけでなく、全てのもの・ことは表裏一体

そしてこの表と裏は、善と悪ではないのです。

このようにして考えると、あらゆるものの見方が変わってきます。

でもこの考え方、面白いですよ。

悪も神の働きなのじゃよ。そうじゃから、悪を憎むことは悪なのじゃ。善を憎むより悪じゃよ。(第二十四巻 黄金の巻 第97帖)

あまりに酷い悪を見たり知ってしまったときは、憎みたい気持ちにもなってしまいますが、日月神示によると悪を憎むことは善を憎むことよりも悪いようです。

何故なら、悪も神の働きによるものであり、神から許されて存在しているからです。

このことを受け入れるのはなかなか難しいかもしれませんが、「どうしてこんな世の中に」と嘆いたり、憎んだりすることは何より自分を苦しめますし、本当の道、喜びの道から遠ざかってしまいます。

ようするに、悪を憎んでも自分には何のメリットもないのです。デメリットしかありません。

神には人間の善悪はないのですから、考えるだけ無駄です。

理解しようがないのです。

だから世の中や悪のことについて考えるのはやめて、もっと自分のことや身魂を磨くことに時間をかけた方が良いと思います。

人間が理解できることには限界がある

今の科学は科学のことは分かるのじゃが、それより上のことは分からんのじゃ。今の科学はあるものがあるということだけしか分からんのじゃよ。(第二十七巻 春の巻 第33帖)

人は科学を信用しすぎだと思います。

日月神示にも書いてありますが、科学では科学以上のことは解明できないのです。

それに今科学で解明されていると言われているものですら、怪しいものです。だって本当に解明済みと言い切れることができるのでしょうか。

科学だ科学だと人民は言っておるが、人民の科学では何もできんのじゃ。乱すばかりじゃよ。神に尋ねて、神の科学でないと何も成就せんのじゃよ。分らなくなったら神に尋ねよと言っておること忘れるでないぞ。一に一を足すのが二ばかりとは限らんのじゃよ。分ったか。(第二十巻 梅の巻 第15帖)

人間の智で分からないことは迷信だと言っておるが、神界のことは神界で呼吸しないと分からんのじゃよ。分からない人間じゃから、何と言っても神を求めるより、いよいよな事になったら道ないぞ。(第二十六巻 黒鉄の巻 第19帖)

なぜ、人間に理解できないもの、解明できないものも存在するという考え方はないのでしょうか。

人間の脳ですらまだ解明できていないのに、その脳を使って他の事象を解明しようとしていること自体が矛盾だらけのように感じます。(そもそも人間の智=脳を使って、脳を解明するというのもおかしいような・・・)

なんでも科学や理屈で考えるのはほどほどにして、もっとそのまま自然に受け入れてもいいのではないでしょうか。

神と共に生きればお金もついてくる

神と金の二つに仕えることはできない、そのどちらかに仕えねばならないと、今までは説いておったのじゃが、それは段階の低い信仰なのじゃよ。~神と金とどちらにも仕えることは、肉と霊と共に栄えて、嬉しく、嬉しくなることなのじゃよ。嬉しい、嬉しいとはそのことじゃ。神と金を二つとも得られるなんて嬉しいじゃろう。~これからは金儲けばかりもできぬ。今までのような、神信心ばかりもできぬ。神の理(みち)を進む者は嫌でも金が貯まるのじゃ。金が貯まらねば深く反省するのじゃ。理(みち)に外れているぞ。人は罪の子ではない、喜びの子なのじゃからな。(第二十六巻 黒鉄の巻 第36帖)

神の道に進めば、お金は貯まらない・・・、何故かそういうイメージもありますが、それは間違いのようです。

神の教えと共に歩めば自然とお金も貯まるとのこと。

お金がなかなか貯まらないのは、神の道、つまり喜びの道から外れていることを意味しているそうです。

苦労ばかりしていても貯まらないということですね。

自分の喜びを見つけ、喜びの道を歩みましょう。

神に相談するには神示を読むこと

神に相談するとは神示を読むことなのじゃ。行き詰まったら神示に相談するのじゃ。神示が教えて、導いてくれるぞ。罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方じゃ。神のやり方は、その罪をも憎まず、生活が豊かになってくるのが正しい理(みち)なのじゃからな。(第二十四巻 黄金の巻 第53帖)

「神が全知全能ならば神に相談したい」そう思う人は多いでしょう。

そしてそれは可能なのです。

方法は「神示を読むこと」

これが神に相談する方法です。

日月神示は無限の解釈ができると言われています。

その人の状況や心境によって、神示に書かれている内容の意味が変わってくるのです。

だから「できるなら神に相談してみたい」と思っている人は、一度神示を読んでみると面白いと思います。

自分の心に妙に響く部分がきっとあるはずです。それが神からの答えなのです。

神示を読めば身魂も磨ける

この神示を読むと身魂が磨けるぞ。磨けるのじゃぞ。神示を読むと改心も出来るのじゃぞ。暮らし向きも無理なくけっこう良くなるぞ。栄えるぞ。まだ分からんのか。苦しいのは神示を読まないからじゃよ。(第二十四巻 黄金の巻 第23帖)

神示を血として生活すれば、何事も思う通りに、スラリスラリと面白いほど栄えてくるぞ。
(月光之巻 第54帖)

身魂磨きの方法は直感で行動すること、身体と心を大事に扱うことですが、神示を読むことでも磨けるそうです。

そして神示を読めば、生活も豊かになってくるとのこと。

書いてある内容も面白いのに、こんなに良いことだらけなんてすごいです!

本当に大変なことになった時、神示が役に立つかも

フニャフニャ腰か、コンニャク腰になって、どうにもこうにもならないことになるぞ。その時、この神示を心棒に入れるのじゃ。百人に一人はそれで何とか役に立つぞ。それ以外の者はコンニャクお化けじゃよ。(第八巻 磐戸の巻 第5帖)

また出たっ!

フニャフニャ腰!!

そして今度はコンニャク腰までっ!!(笑)

なんなんだろう・・・やっぱりおかしすぎ!!

「フニャフニャ腰かコンニャク腰」ということは、フニャフニャ腰とコンニャク腰は違うということですよね。

皆さんはどっちがいいですか?

いや、どっちも嫌ですよね(笑)

でも、もしフニャフニャ腰かコンニャク腰になってどうしようもなくなっても、百人に一人は神示が役に立って、助かるそうです。

意外と全員じゃないんですね・・・。

そして神示ですら効果が無かった人は、コンニャクお化けになってしまうとのことっ!!

こわい~(笑)

神示が完全に理解できるまでは投げ出してはいけない

羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹いている人よ。欲を捨てると分かってくるぞ。誠の欲深になるのじゃ。イロハの勉強とは日々の生活を神示に合わせることじゃよ。この中から神示通りの型を出すのじゃ。出さねばならぬのじゃよ。分った人ほど、口静かになるぞ。天狗が出てきて三日天下、それも役目、役目ご苦労じゃなぁ。良くなれば立ち寄って、悪くなれば立ち去るような人民。そんな人民は早く退いて見物でもしておるのじゃ。けれどのぉ、いつも日和見していると気の毒なことになるぞ。神に仕えるのは一通りや二通りの苦労では出来んのじゃ。~迷うでないぞ。迷いは欲から生まれるのじゃ。体験と理解のみが財産なのじゃからな。神示が腹に入ったら、それでもうよいぞ。去って花を咲かせるのじゃ。けれど腹に入るまでは去ってはならぬ。確かに心得るのじゃ。(第二十四巻 黄金の巻 第16帖)

「羹に懲りて膾を吹く」とは「熱い物を飲んで火傷したのに懲りて、冷たいなますも吹いて冷ます」ということです。

ようするに、痛い目にあって、もう痛いのは嫌だからと石橋を何回も叩くようになっている状態。

日月神示では、神示と出会って良くなったら立ち寄って、悪いことが起きたら去る人のことを、この言葉で例えられています。

こうするのは勝手だけれど、こんな態度ばかり取っていると、残念なことが起きてしまうようです。

神示はいいものだけれど、時には火傷してしまうこともある。

でもこの火傷に懲りず、神示を実践し続けた人は恩恵を受けることができるのです。

体験と理解のみが財産

実践あるのみです。

神示は少しも違わぬ。違うと思うことあったら自分の心を省みるのじゃ。その心、曇っているのじゃよ。めぐり(業・カルマ)あるだけ神が恨めしくなるぞ。めぐり(業・カルマ)が無くなれば、神が有難いのじゃ。(第二十四巻 黄金の巻 第13帖)

神示を読んで火傷した状態・・・、そのような状態になってしまったら神示を疑いたくなる気持ちにもなるでしょう。

けれど、日月神示によると神示は少しも間違っていないそうです。

なのでそんな状態になってしまっても、それは必要な過程だったと思い、神示を信じて(ダジャレ?)、身魂磨きに集中しましょう。

神の言葉・・・でも鵜呑みにしてはいけない

世の乱れ。心から怪しいと思うことは、たとえ神の言葉と言われても一応は考えるのじゃ。神の言葉でも裏表の見境なくただ信じてはならんぞ。審神するのじゃ。薬が毒になることもあると言っておるじゃろう。馬鹿正直が誠の道を見失うことじゃてあるのじゃからな。(第二十四巻 黄金の巻 第29帖)

神示は少しも間違っていないのなら、鵜呑みにしてもよさそうですが、それは危険とのことです。

これは予想外。

どんなに神の言葉とされているものでも、一度は自分の頭で判断することが大事なようです。

確かに、何でも盲目的に信じることは危ないですよね。

このことをキチンと教えてくれる日月神示はすごいと思います。

神に任せるのは努力をしてから

神に任せきると言っても、それは自分で最善を尽くした後のことじゃぞ。努力もしないで神に任せきるのは悪任せというものじゃ。悪任せの多いことよ。魂の財産は金を得るより難しいのじゃからな。(第二十七巻 春の巻 第26帖)

神に任せることは大事だけれど、ただ任せるのはやっぱり駄目なようです。

まずは自分の力で頑張ること。

神から悪任せと言われないように、最低限の努力はしましょう。

「魂の財産は金を得るより難しい」

でも魂の財産より、金を得るのに夢中な人がほとんどな世の中。

けれど死んで持って行けるのは魂だけです。

自分のために、喜びながら努力しましょう。

日光は避けるものではない

日月の神にひと時拝むのじゃ。神の恵みを身にも受けるのじゃ。身体が甦るぞ。神の光を着るのじゃ。御光を頂くのじゃ。食べるのじゃ。神ほどけっこうなものは無いぞ。今の民、日光をいただかないから病気になるのじゃぞ。神の子は日の子と言っておるじゃろう。(第五巻 地つ巻 第9帖)

日本人は特に日光を避けている人がとても多いですが、日光にはたくさんの驚くべき恩恵があります。

そして日月神示にも日光を浴びることの大切さが書かれています。

「今の民、日光をいただかないから病気になるのじゃぞ。」まさにこの言葉通りだと思います。

日光を浴びることで実際に免疫力が上がるのです。

ようするに、日光を避けるとは自分で病気になろうとしていることと同じなのです。

日光を浴びることは、神の光を着ること。

もっと日光を浴びましょう。

神を愛すれば神から愛される

尻尾を振る犬を打つ人間おらんじゃろ。それと同じで付いて来る人民を殺す神は無いのじゃよ。(第二十巻 梅の巻 第20帖)

日月神示を読んでいると、神は太っ腹で(全部無料にする)、慈愛に満ちているなと思いますが、その理由が書いてありました。

自分に尻尾を振って来る犬が可愛いように、神も祈りすがってくる人間が可愛いのです。

「改心すれば悪人でも助ける」という神の言葉の意味が分かりました。

親よりも、師よりも、神を愛するのじゃ。そうすれば、その親、師は神からさらに愛されるぞ。(第二十四巻 黄金の巻 第34帖)

「親よりも師よりも神を愛するの?」と思いましたが、そうすれば、それらの人たちが神からさらに愛されるそうです。

神からさらに愛されるなんて、相当良い恩恵がありそうですね。

神は理屈ではないのじゃ。理(みち)じゃよ。生きた自由自在の見当が取れない絶対であるのじゃ。そうじゃから、ただ求めるより他に道はないぞ。親を呼ぶ赤子の声で神を求めるのじゃ。神に呼び掛けるのじゃ。全てを投げ出すのじゃよ。任せきるのじゃよ。そうすれば、神は喜びの光となってそなたに現れてくるぞ。理屈の信仰に囚われるのは邪道じゃ。赤子心の理解が第一であるぞ。(第二十六巻 黒鉄の巻 第26帖)

神は人間の理解を超えた存在なので、身魂を磨き、努力した後は理屈を捨てて、全てを神に委ねた方が良さそうです。

神を拝むのじゃ。神を祭るのじゃ。天主様を拝むのじゃ。何もかも皆神に捧げるのじゃよ。神から頂くのじゃ。そうすれば神の国治まるぞ。戦も治まるぞ。(第十巻 水の巻 第13帖)

今日までの教えとは、悪を殺せば善ばかりが輝く時代が来るというものであるのじゃが、これが悪魔の教えなのじゃ。(第二十三巻 海の巻 第5帖)

神ばかり尊んでもなんにもならんのじゃ。何もかも尊べば何もかも味方になるぞ。敵を尊べば敵が敵で無くなるのじゃぞ。~民には神と同じ分け身魂を授けているのじゃから、磨けば人も神になるのじゃよ。(第四巻 天つ巻 第12帖)

神を拝めば戦もなくなる。

敵を尊べば敵が敵でなくなる。

つまり、全て喜んで拝んで感謝すれば良いし、そうすることで全部良くなるということですね。

何故なら、すべての元は「気」だから。

尊んだり、拝んだり、感謝するのは全て良い気だから、その対象がなんであれ、いい結果を生むということなのです。

実際、「神なんていない」と卑屈になったり、「どうして悪に感謝しなければならないんだ」と腹を立てて、いつも不機嫌そうにしていては運は開けないでしょう。

そういう状態では、悪いことばかり降りかかってくるはずです。

歯を食いしばりながら笑うことが出来ないのと同じです。

だから、理屈抜きになんでも喜ぶことが大事なのだと思います。

そして逆に「何でも喜べば、その喜びの気持ちが元になって、喜ばしい出来事が起こる」というのがある意味理屈なんだと思います。

まとめ

神には人間の善悪はない
→すべて許されているから存在している
→表だけの紙、裏だけの紙は存在しないことを覚えておこう

人間が理解できることには限界がある
→科学を信用しすぎるのは危険
→なぜならその科学は人間が作ったものだから

神と共に歩めば自然とお金もついてくる
→喜びの道を進もう

神に相談したい気持ちの時は神示を読もう
→読むタイミングによって心に響く部分も変わる

神示を読むことは身魂磨きにもなる
→直感で行動して、身体と心を大切にしつつ、神示も読もう

コンニャク腰になってしまっても神示を読めば脱却できるかも

神示が理解できるまでは諦めないこと
→時には火傷もする。けれど、それは必要な過程。
→自転車に乗るには一度は転倒するのと同じ
→体験と理解のみが財産

神の言葉でも一度は自分の頭で判断すること
→馬鹿正直すぎるのも危険

神に任せきるのは努力をしてから

日光は避けるものではない
→神の光を着ること。神からの恩恵を受けること。

神を愛すれば神からそれ以上に愛される
→変に理屈にこだわるよりもっと喜びに生きよう
→シンプルに感謝すること、喜ぶこと、楽しむこと

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