「怒鳴ってしまった」はあり得ない【アドラー心理学】

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もるもる君
もるもる君
怖かった~・・・(涙)

わらび君
わらび君
どうしたの?もるもるくん?

もるもる君
もるもる君
さっきお店で店員さんとお客さんの間で何かトラブルがあったみたいでお客さんがものすごく怒鳴っていたんだ・・・

もるもる君
もるもる君
やっぱりお客さんもそうとう腹が立っていたのかなぁ・・・

わらび君
わらび君
それはちがうよ!

もるもる君
もるもる君
えっ!?どういうこと?

みなさんは今まで理不尽な怒鳴られ方をされたこと、もしくは誰かを勢いに任せて怒鳴ってしまったことはありませんか?相手の勘に触ってしまったから・・・、ついカッとなってしまったから・・・と思うかもしれませんが、アドラー心理学的に考えれば結論は違うのです。

目次

あの人は、あなたは、怒鳴りたいから怒鳴った

怒りとは出し入れ可能な「道具」である

だからこそ、怒鳴られているときに心に留めておいて欲しい

目的論についてもっと詳しく知りたいなら

まとめ

あの人は、あなたは、怒鳴りたいから怒鳴った

誰かに怒鳴られたことは、誰にでも経験あることでしょう。

私がヘマをしたから     →上司を怒らせた

私の言い方が悪かったから  →相手の勘に触って相手が怒鳴った

私のやり方が下手すぎるから →怒鳴られ叱られた

私が実際悪いことをしたから →親は怒り私を怒鳴った

上記の事例全てに共通していることは、私に何か「原因」があり、その「原因」に対して相手が怒鳴ったという「結果」があることです。

同じくこの逆の事例も成り立ちます

部下の出来が悪すぎるから      →私は部下を叱って怒鳴った

相手の言い方が気にくわなかったから →カッとなって相手を怒鳴った

あまりに○○するのが下手すぎるから →イライラして怒鳴ってしまった

子供が学校で悪さをしたから     →躾として怒鳴った

この場合も「私」は相手に何らかの「原因」を見出し、その「結果」として「怒鳴ったり」「怒鳴ってしまったり」しています。

このように何かの「原因」に影響されるから、何かの「結果」が生み出されるという考え方を原因論に基づいた考え方といいます。

この一見当たり前とも思える原因論の考え方ですが、アドラー心理学はこの考え方を否定します。

つまり、相手は、あなたは、怒鳴りたいから怒鳴ったということになるのです。

もるもる君
もるもる君
怒鳴りたいから怒鳴る!?

先に挙げた事例で説明するなら

上司(私)はあなた(部下)を怒鳴りたいから怒鳴った

私(相手)の言い方が勘に触ったとかではなく相手(私)は怒鳴りたいから怒鳴った

私(相手)が下手すぎてイライラしたからではなく相手(私)は怒鳴りたいから怒鳴った

私(子供)の行いが悪かったからではなく親(私)が怒鳴りたいから怒鳴った

ということになります。

この事例全てに共通しているのは紛れもなく「怒鳴りたいから怒鳴った」という相手(自分)の「目的」です。

このように、物事を「過去の原因」によって考えるのではなく「目的」に従って考えることを、目的論と言います。

怒りとは出し入れ可能な「道具」である

もるもる君
もるもる君
でもあのお客さんは本当に頭にきて怒鳴ってしまっていたんじゃないのかな?

あの人は、あなたは、怒鳴りたいから怒鳴ったというと、

いやいや、あの人を怒らせてしまったのは私が本当に悪かったから

とか

いやいや、私があの人を怒鳴ってしまったのはついカッとなったから

と主張する人もいるでしょう。

つまり、何かの「原因」で相手(や自分)の感情を高ぶらせ怒鳴ったんだと。

そして、その感情には抗うことはできないのだと。

でも、こんな場面は見たことや経験はありませんか?

怒鳴っていた相手(私)に電話がかかってきて声色を変えて応答していた場面

外出先では普通だったのに、帰宅して突然怒り出した親

もし本当に人間が感情に抗えない存在なのだとしたら、これらの場面はあり得ない場面だと思いませんか?

電話の応答も怒りながら応答するだろうし、外出先で既に怒っていたはず。

でも、実際はそうではない。
これはどういうことなのでしょうか?

それは「怒りとは出し入れ可能な道具」だということです。

もるもる君
もるもる君
どっ・・・道具!?

人は「怒り」という感情に突き動かされて「怒って」いるのではなく、「怒りたい」から「怒り」という感情を「道具」のように使っているのです。

もるもる君
もるもる君
でも・・・どうしてそんなことするの?

では、何故人は「道具」として「怒りの感情」を用いるのでしょうか。

それは、より安易にあなた(相手)を屈服させるためです。

何か自分が不快な思いを相手にされて、そのことを相手に伝えたいなら別に怒鳴って伝えなくても普通に「こうされて私はイヤだった」と伝えれば相手はそれで分かります。

それに、「あなたの為を思って・・・」と、要するにという意味で「叱って=怒鳴って」いる人もいますが、その場合でも別に「怒鳴る」必要はないはずです。(このことは他にも重要な意味があります。別の記事で紹介します。)

あいつは物わかりが悪いから叱って聞かせないとダメなんだ

相手が物わかりが悪い人なら、分かるまで何度も普通に教えればいいのです。

でも、そうせず怒りに任せて「怒鳴る」

それは、そうする方がはるかに楽だからです。

何度も何度も同じことを普通の声音で説明することは手間がかかりますが、「怒鳴って」しまえばすぐに相手は萎縮してしまうでしょう。

その方が、手っ取り早い。

だから、相手(あなた)は「怒る」のです。

だからこそ、怒鳴られているときに心に留めておいて欲しい

人は「道具」として「怒り」を用いるから、怒鳴られているときはいつもヘラヘラしていてよいというわけではありませんが、

もし、会社の上司や担任の先生、親その他様々な人たちによって毎日理不尽な怒鳴られ方をしている方は・・・

「自分が100%間違っているんだ」と自分を責めないであげてください。

人は毎日、毎日怒鳴られ自分を否定されていると段々と本当に自分が間違っているような気がしてしまいます。

でも、それは違います。

相手はあなたを「怒り」という「道具」を使って屈服させたいだけなのです。

わらび君
わらび君
だから自分はダメな人間だとか思う必要はないんだ!

なので理不尽な怒鳴られ方をされているときは「あぁ、この人は自分を怒りという安易な手段を用いて屈服させようとしているんだなぁ。」と心の中で思い自分を責めるということはしないでください。

そうすると気持ちも少し楽だと思います。

目的論についてもっと詳しく知りたいなら

今回紹介した内容は「嫌われる勇気」に詳しく書いてあります。

気になった方は是非読んでみると面白いですよ!

まとめ

いかがでしたか?

目的論の見方で考えてみると「怒り」という感情の捉え方が違ってみえますね。自分が怒鳴ってしまいそうなとき、または怒鳴られているとき、このことを思い出して上手に対処していきたいですね。

もるもる君
もるもる君
僕、怒られるとすぐ自分はダメだなぁと思っていたりしたけど・・・

もるもる君
もるもる君
これからは、そう思わずに済みそうだよ!

わらび君
わらび君
よかったね!もるもるくん!
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