感情を制御することと、何も感じなくなることは違う

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みなさん、こんにちは。わらびです。いつも記事をお読みいただきありがとうございます。

人生をより良く生きるには、外的な要因に振り回されず、自分の感情には自分で責任を持つことが大切です。

たとえ嫌な出来事に遭遇して、腹を立ててもそれでスッキリすることはありません。余計に嫌な気分が膨らむだけです。

腹を立てるより、どこか感謝できる部分を探すこと。

それが絶対感謝の考え方であり、結局自分にとって楽な生き方でもあります。

しかし、嫌なことがあっても怒らず、絶対感謝を実践するということは、喜怒哀楽を否定し、人間らしさを無くしてしまうのではないか、と不安に思う人もいるかもしれません。

腹が立つようなことがあっても怒らず、泣きたいようなことがあっても泣かない、そんなことをしていたらロボットのような、何も感じない人間にいずれなってしまうのではないか。

わたしもこのことについて一時期疑問に思っていました。

けれど、感情をコントロールすることと、何も感じなくなることは違います。

むしろ、感情をコントロール出来るようになると、より敏感に感じられるようになります

「怒ってはいけない」というのは、「怒りの感情を外に出してはいけない」という意味であり、「怒りを感じてはいけない」という意味ではないのです。

「泣いてはいけない」というのも同じで、「悲しみの感情を外に出してはいけない」という意味であり、「悲しみを感じてはいけない」という意味ではありません。

(ただ、泣くことは、それ自体に浄化作用があるので、時には泣くことも大切だと、わたしは考えています。感情を押し殺しすぎるのもそれはそれで問題です。つまり、バランスが大切なのです。)

怒りを感じて、そのまま腹を立てることは、自分で感情をコントロールできていないからです。

自分で感情をコントロール出来るようになると、怒りを感じても、わざわざそれを外に表現しなくなります。

何故なら、怒っても何の解決にもならないからです。

そして怒ることは何より自分の身体にとってだからです。(実際に怒っている時は身体の中で毒素が放出されているそうです)

けれど、怒りの気持ちをコントロールして、外に表現しない人が、何も感じないロボットのような人間なのではありません。

外に表現しないだけで、心の中では、怒りや、悲しみを感じているんです。

そういう気持ちを感じながら、その負の感情を感謝などのエネルギーに変えて、消化していくのです。

自分の気持ちに人一倍敏感だからこそ、感情をコントロールできるのです。

「あ、いま自分怒っているな。でもここで腹を立てるのはやめよう」こういう選択が選べるようになるのです。

自分の気持ちに気付けないと、「怒りたくなる何かが発生→怒る」こうしかなりません。

だから、感情を制御することと、何も感じなくなることは違います。

自分の感情に責任を持つことが大切なのです。

最後に、茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」を紹介して終わります。

小学生の時に、この詩に出会って衝撃を受けて、以来座右の銘にしています。

素敵な詩に感謝です。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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