みなさん、こんにちは。わらびです。いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
あくせく生きたくない、もっと楽に生きたい、そう思うなら、足るを知ることです。
足るを知れば、少ない労力で済みます。
足るを知らずに、もっともっとと求めると、それなりの労力が必要になります。
楽に生きるコツは、これだけです。
物を求める人は、物が自分を豊かにしてくれると考えますが、物は人を豊かにはしません。
物はものです。
豊かになるかどうかは、その人次第です。
物ではなく、その人の生き方が豊かさを決めます。
物は少なくても、その人が毎日幸せを感じていたら、その人の人生は豊かです。
けれど、たくさんの物に囲まれているのに、その人が毎日不満を感じていたら、その人の人生は貧しいです。
足るを知れば、その瞬間から心が満たされます。豊かさを感じます。
しかし、物を買っても豊かさを感じるのは一時的です。
なぜなら、それは偽の豊かさであり、すぐに当たり前になってしまうからです。
空虚感を埋めるために、すぐに新しい物が欲しくなります。
そして、そのイタチごっこをいつまでも繰り返します。
そうして人生を終えてしまう人も少なくありません。
けれど、それはあくせくした人生です。物に振り回された生き方です。
大切なことなのでもう一度言いますが、物が生活を豊かにするのではありません。その人の生き方が人生を豊かにするのです。
そして、人生の豊かさは、足るを知ることから得られます。
足るを知るとは、当たり前のことを、当たり前と考えないことです。
当たり前のことを、当たり前ではなく、有り難いと思うことです。
当たり前ではなく、有り難いと考えることで、感謝の気持ちがわき、心が満たされます。
心が満たされるとは、豊かさを感じるということです。
つまり、豊かさとは精神なのです。
その人が満ち足りていれば、その人は豊かなのです。
だから豊かさに、物は関係ありません。
物が自分に豊かさをもたらしてくれる、というのは幻想です。
幻だから、いくら物を集めても決して満足しないのです。
お気楽に生きたいなら、足るを知りましょう。
当たり前のことを、当たり前と思わず、有り難いと感謝しましょう。
足るを知り、自分がこんなに恵まれているんだと感じた時、あなたは既に豊かだったことに気付くでしょう。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
~頂いたメッセージへのコーナー~
またまた嬉しいメッセージを送ってくださり、ありがとうございます。
わたしも、大切なことは「教え」であり、「宗派」や、その他の「形式」ではないと思っています。宗派があることで、かえって「教え」そのものが伝わりにくくなってしまっているのではないかと思います。なので、日月神示でも聖書でも、自分で読んで「これいいなぁ」と心に響いた箇所を、日常に取り入れ実践すること、これでいいのだと思っています。わたしは聖書では、箴言の箇所を参考にしたりします。
「種を蒔く人」のたとえ、勉強になりました。心に響いたことを実践してみて、すぐに上手く出来ずに、悩んだり時には泣いたり怒ったりしている私は、石だらけで土の少ない所に落ちた種に似ているような・・・・・(笑)あきらめずに挑戦し続け、ちゃんと実を結ぶ種になりたいものです。
いい加減は「良い加減」です。休むことができる余裕がある時は、のんびりが一番ですよ。「心の中に大切にしているものがあればなんとかなる」素敵な言葉ですね。わたしも、そう思います。
ご協力いただくなんて、恐縮です。でも、ありがとうございます。読書や体験を通して学んだことを、共有することで誰かの役に立てれば嬉しいという思いで活動しているので、こんなに嬉しく、励みになることはありません。
「答えが出ないのはそれが答え」なるほど、そういう考え方もありますね。そういう時は、答えが出ない方が自分にとっていいのかもしれませんね。でも、もしかしたら全く答えが出ないかもなんてっ!まぁ、その時は、その時ですね(笑)
とんでもないです。こんなに真摯なお気持ちで、記事をお読みになられていると知り、嬉しさと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
改めまして、ありがとうございました。