名作中の名作である映画『ニュー・シネマ・パラダイス』。そんな名映画だけに素敵な言葉も数多くありました。今回はそんな心に響く名言を紹介します。
友だちは顔つきで選ぶ。敵は頭の良さで選ぶ。(アルフレード)
自転車に乗るアルフレードを見て、仮病のフリをして自転車に乗せてもらったトトがアルフレードに「友達になろうよ」と言ったことに対してアルフレードが言ったセリフ。
この後に、「お前はずる賢すぎる」と付け足す。
トトは確かにずる賢かったが、アルフレードも小学校卒業資格試験のカンニングをトトに頼んだりとどっちもどっちだったりする(笑)
人にはそれぞれ従うべき星がある。(アルフレード)
アルフレードがトトに対して言ったセリフだが、この時トトには自分の従うべき星がなんなのか分からない。
というか、むしろアルフレードがいなければトトは一生分からなかったかもしれない。
トトの従うべき星、それは「映画監督になって人々を幸せにすること」だった。
しかし、それは大きな犠牲と引き換えだった。
30年故郷を離れたこと、愛する人との恋をあきらめたこと。
自分の従うべき星が見つかった方が良いのか、それとも見つけられない方が良いのか、それはまだ私には分からない。
進歩はいつも遅すぎる(アルフレード)
フィルムに発火して映写室が火事になり視力を失ったアルフレードがトトから燃えないフィルムを見せてもらった時に言ったセリフ。
もっと早くこのフィルムが発明されていれば、アルフレードも視力を失わずに済んだのだが、進歩とはそういうもの。いつも遅れてくる。
人は失敗からしか学べない。
人類はトライアンドエラーを繰り返して進歩してきた。
私はこの映画を見て初めて、昔のフィルムは燃えてしまうリスクがあったということを知った。
そう思うと、昔、必死に映写室でこのリスクと闘っていた映写技師さんに敬意を抱かずにはいられない。
この時代があったからこそ、今の映画業界がある。
私たちが映画館に行っても火事の心配はいらないのである。
体が重いものほど、足跡は深い。恋心が強いほど、傷も深くなる。(アルフレード)
エレナに熱烈な恋心を寄せるトトに対してアルフレードが言ったセリフ。
実はアルフレードが考えた言葉ではなく、映画のセリフだったということが後にネタ晴らしされる(笑)
そう言えば、子供のころ遠足が中止になるとものすごくショックだったなぁ・・・。
王女と兵士の寓話
恋に夢中なトトに対してアルフレードが教えた寓話。
昔、昔、王様がパーティーを開いた。
国中から美しい女がたくさん集まった。
警備に立った兵士が王女様が通るのを目にした。
どの美女よりも美しく兵士は一目で恋に落ちてしまったが、
貧しいただの兵士と国王の娘ではどうしようもなかった。
それでも思いは募り、ついにある日、王女様に語りかけた。
”王女様 あなたなしでは生きていけません”
王女様は兵士の深い思いに驚き、心を動かされた。
そして、こう答えた。
もしもあなたが100日の間、昼も夜も私の部屋のバルコニーの下で
ずっと待っていてくれたらあなたのものになります。
兵士はすぐにバルコニーの下に飛んでいった。
1日、2日、10日が経ち、20日がたった。
毎晩必ず王女様は窓から確かめた。
だが兵士はじっと動かずに待っている。
雨が振っても 風が吹いても、雪が降っても動かない。
鳥が頭に糞を落としても 蜂が刺しても、
決してそこから動こうとしなかった。
こうして 90日が過ぎた。
兵士は痩せこけて真っ白になっていた。
目からは涙が滴り落ちていた。
もう涙を抑える力は残っていない。
眠る気力すらなかった。
王女様はそんな彼の様子をずっと見守っていた。
そして、99日の夜のこと。
兵士は立ち上がった。
すくと椅子を持つと、その場から去った。
この後、トトが「どうして兵士は最後立ち去ってしまったのか?」とアルフレードに聞くが、アルフレードも「知らない。分かったら俺に教えてくれ。」と返す。
その後、トトはエレナに告白をするが断られてしまう。
それでも諦めきれないトトは毎晩エレナの住んでいる窓の下に立ち続ける。
寓話のように、雨の日も風の日も。
結末も寓話と同じか?と思いきや、ついにエレナもトトの思いに応え二人は恋人になった・・・めでたし、めでたし・・・とはいかずに、この恋は長く続くものではなかった。
二人の恋愛を快く思っていないエレナの父の存在、エレナの引っ越しによる長距離恋愛、そしてついにエレナの連絡先が途絶えてしまうのだ。
エレナのことを心から愛していたトトはこの出来事のでせいで物思いにふけってしまう。
こんな結末になるならば、最初から実らない恋の方がまだマシであると思う。
だから99日目の夜に立ち去った兵士も、愛していたが故に別れるときの怖さを考えるとこのまま叶わぬ恋の方がマシだと思って立ち去ったのかもしれない。
今のお前は私より盲目だ。(アルフレード)
恋に夢中になり「自分の従うべき星」が見えていないトトに対してアルフレードが言ったセリフ。
アルフレードは視力を失っているが、そんなアルフレードより今のトトは盲目なのだという。すごいセリフだなぁと感心した。
この前に、
ここにいると、自分が世界の中心だと感じる。何もかも不変だと感じる。
だがここを出て2年もすると、何もかも変わっている。頼りの糸が切れる。
会いたい人もいなくなってしまう。
一度村を出たら、長い年月帰るな。
年月を経て帰郷すれば、友達や懐かしい土地に再会出来る。
今のお前には無理だ!
とある。
確かに人って「今いる場所が中心だ」、と思いがちになってしまうもの。
でも実際は違う。
一歩外に出て別の土地に住んでしまえば、最初は慣れないがまたそこが自分にとっての「世界の中心」になる。
結局人は「自分を中心とする世界」からしか物事を見れない。
それならば、せめて私はその「自分を中心とする世界」の半径を少しでも広げられるような人間になりたい。
人生は映画とは違うんだ。(アルフレード)
後に「人生はもっと困難なものだ」と続く。
やっぱりそうだよね。現実は小説より奇妙なり。
映画と違って、人生は読めない出来事が多すぎる。
映画を見ていてこんなセリフに出会ったことは初めてだった。
おまえとは話さない。おまえのうわさを聞きたい。(アルフレード)
「トトには村を出て映画業界で成功して欲しい」と、願っているアルフレードが言ったセリフ。
この後に
帰ってくるな!私たちを忘れろ!手紙も書くな!ノスタルジーに惑わされるな。
全てを忘れろ!我慢出来ずに帰ってきても、私の家には迎えてやらない。分かったか!
と続く。
このセリフを聞いてふと、「ノスタルジーってなんだろう?」と思ったので調べてみたところ、簡単に言うと「過ぎ去った時間や時代、故郷を懐かしむ気持ち」らしい。
後ろを振り返ってばかりでは、前には進めない。
アルフレードのトトに対する厳しくも愛情のこもったセリフだと思う。
自分がすることを愛せ。子どもの頃に映写室を愛したように。(アルフレード)
トトの旅立ちを見送る最後の激励の言葉。
幼少時代のトトはとにかく大の映画好き、特に映写室好きだった。
それは、おつかいを頼まれた小遣いで映画のチケットを買ってしまうほど。
この頃のトトには恋だとか、その他の映画以外のものは頭になかった。
そんな夢中になるものが青年のトトには欠けていた。
何かで成功するためには、それ相応の犠牲はつきものだ。
中途半端な気持ちじゃ夢は追えない。とことん愛さないといけないのだ。
ただ、成功のために払った犠牲の大きさは人によっては多大なものかもしれないが。
誠実な人はいつも孤独なものなのよ(トトの母マリア)
30年経ってアルフレードの葬儀に参加するためにローマから帰ってきたトトに対して言った母マリアのセリフ。
なぜ誠実な人が孤独なのか?と最初疑問に思ったが、よくよく考えてみるとそうかもしれないと思った。
誠実だからこそ、自分の価値観と他人の価値観の違いを認識し、その他人の領域には踏み込もうとしない。
つまり、自分で一定の距離をとるのだ。
そして自分の範囲にも相手を土足で踏み込ませない。
これは冷たいとかそういうものではなくって、相手に対する優しさでもある。
本当の意味で相手を大切にすると逆に距離をとる必要性に気付く。
自分に誠実に生きようとすると、気の置けない仲間達から離れなければいけない時がある。
そういう意味で誠実さと孤独さは、切っては切れない存在なのかもしれない。
さらに母マリアは後にこう続けた。
私が聞かなかったのだもの。おまえのすることは正しいと思った。
聞かなくても分かる。
村を出てよかったわ。自分の望みをかなえた。
おまえに電話すると、いつも違う女性が出る。
でも、おまえを心から愛してる声をまだ聞いてない。
聞けば分かるわ。
おまえが誰かを愛して、落ち着いてくれればうれしいわ。
おまえの生活はあっちよ。
この村にあるのは幻だけ。
映画監督として成功したトトには愛する人がいない。
それが成功の引き換えになったものだとするならば、「成功」ってなんなんだろうと少し考えてしまう。
まとめ
いかがでしたか?
心に響く言葉には出会えましたか?
以上『ニュー・シネマ・パラダイス』の名言まとめでした。