難しいのではなくて、自分が変わりたくないだけなのかもしれない

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みなさん、こんにちは。わらびです。いつも記事をお読みいただきありがとうございます。

わたしは記事の中で、「~できるようになりたいけれど、実践するのは難しい」とよく言ってきましたが、ふと、「難しいのではなくて、自分が変わりたくないだけなのでは?」と思いつきました。

精神世界における実践というのは、何もオリンピック選手のように高度な技能が問われているわけではありません。

お金もかかりません。

ただやるか、やらないかだけです。

そして、自分の気持ちをどう持つかという決定権は、いつも自分が持っています。

ということは、難しいことは何もないはずではないかと思ったのです。

例えば、怒らない練習をしていたとします。

なのに、自分にとって「嫌な出来事」が起こり、「怒ってしまった」とします。

そして、「あぁ!やっぱり怒ってしまった!怒らないことは難しい!!」と言います。

しかし、これは怒らないことが難しいから怒ってしまったのではなく、ただ癖が出ただけだと思うのです。

今までずっと、自分の気に入らないことが起きれば怒ったりしてきたのですから、その癖が根深くついてしまっているだけです。

だから、難しいのではなく、その癖を、新たな「怒らない」という習慣に置きかえ直すだけのこと。

そういう意味で、やるか、やらないか、ただそれだけのことなのではないかと思ったのです。

それに、「難しい」ということで、自分にブレーキをかけているのではないかとも思いました。

要するに、本当は「変わりたくない」のです。

それは、わたしの場合は、以前の記事に書いたように、変わることで、今までの自分を否定するということに対する恐怖心が、「変わる」ことを拒否しているのかもしれません。

だから、「出来ない」口実を作るために「難しい」ことにしているのではないかと思いました。

けれど、変わることは、今までの自分を否定することではありません。

蝶がさなぎから成長したからといって、さなぎだった頃が否定されたわけではないのです。

蝶が綺麗な蝶になるためには、さなぎの段階が必要だったのです。

それと同じことが人間の精神面にもあります。

蝶は成虫になると、さなぎの自分が否定されるからといって、さなぎのまま留まろうとはしないのです。

けれど、わたしは、さなぎのまま留まろうとしています。

でも、蝶に例えて考えてみたら、おかしなことだと思ったので、もうやめます。

それに、「難しい」「出来ない」と言葉にしていたら、本来の力が発揮されなくなって、本当に「難しく」「出来なく」なってしまいます。

実践しようとしたのに失敗するのは、ただの癖が出た結果。

難しいと思うのは、本当は変わりたくないから。

ただ、やるか、やらないか。

新たな習慣を身につける、ただそれだけのこと。

癖を直すのは、一日で出来ることではないけれど、直そうとしていれば、いずれ直る。

そんなことをふと気づかされました。蝶から学びます。

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。

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