この記事に検索から飛んできた人の多くは、現在学生で、楽しくない学生生活に疑問と不満を抱いている人だろう。
わたしはあなたに言いたい。
まったく問題ないよ、と。
何故なら、わたし自身、勉強、勉強、勉強と、いわばRPGゲームで言うと勉強にステータスを全振りした、一般的にはまったく「楽しくない」学生生活を送ってきて、大人になった現在なんの問題もないからである。
わたしの学生生活のほとんどは勉強で占められていた。
みんなが遊んでいる休み時間も一人暗い教室で勉強していることが何回もあった。
誕生日パーティーに参加したこともないし、お泊まり会もしたことないし、カラオケ屋で朝までオールしたこともない。
だが、それがいったいなんだというのだろう?
なんでもない。
別にその体験をしてこなかったからといって、後悔したことはないし、惨めな気持ちになったこともない。
だからもし、今、あなたの周りのクラスメートたちがそういう体験をしたとキャッキャッ言っている話し声を耳にして、自分の単調な学生生活と比較して、悲しい気持ちになったりしているのなら、「その必要はないよ」とわたしは言いたい。
学生時代は人生の黄金期ではない
「学生時代が人生でもっとも楽しい時期だ」
こんなことを言う大人がいる。
でもこれは、大人になって自分で人生を楽しもうと努力しなかった寂しい人たちの言うことで、実際には「学生時代が人生の黄金期」なんてことはない。
もし、この大人たちが言っていることが本当なら学生生活が終わればただちに人生の衰退期に入ることになり、暗黒になり、そんな人生希望も何もないではないか。
そんなことはないのだ。
わたしは「学生時代と今どっちが楽しいですか」と誰かに尋ねられたら、迷いなく「今です」と答える。
なぜなら、学生時代より今の方がはるかに自由度が高いからである。
学生時代は何をしても許される部分がある。これは面白いけれど、そもそもやれることが少なすぎる。
大人になったら学生の時みたいに甘くはないけれど、選択肢が学生の時よりたくさんある。
学生の時は親や教師の言うとおりにしないといけなかったけれど、大人になったら自分のことは自分で全部決められる。
だから12年~16年の学生生活が、楽しくないからといって、残りの何十年という膨大な人生があなたを待っているのだから、そんなことで悩んだり、気にする必要はない。
「学校」とは
それでもどうしても学生生活が嫌なら、やめてしまうのも一つの手だ。
世間では「最低でも高校は出ておかないと」とか「大学は出ておいた方がいい」とか言われているけれど、中卒でもビジネスに成功した人はたくさんいる。
むしろ、日本だけでなく世界にも目を向ければ、そっちのタイプの方がいわゆる「成功者」には多いのではないかと思う。
だから、あんまり我慢できないようなら「やめる」のも全然アリだ。まぁ、この手段には一般的には親の了解がいるから難しいかもしれないが、そういう手段もあるってことを知っておくことは大事だ。
今世界を牛耳っている支配者たちは、自分の子どもを「学校」に入れたりしない。
入れたとしてもそれはいわゆる「プライベートスクール」であって、わたしたち一般庶民が通う「学校」ではない。
なぜなら学校は「そういう所」だからだ。
「そういう所」とは、つまりこの世の支配者たちが自分のかわいい子どもたちには絶対に行って欲しくない(しかも何十年も)と思う所なのだ。
具体的には、学校は個人の個性を破壊する。
「うちの学校は生徒一人ひとりの個性を伸ばすことを大切にしています」と謳う学校がいくつもある。
けれどこれは嘘だ。
学校は生徒の個性を伸ばす場ではない、破壊する場である。
もし、わたしの言っていることが間違いだと思うなら、次の授業中に突然当てられてもないのに発言してみたり、みんなが数学の勉強をしているときに絵を描いてみたりするといい。
あなたは間違いなく教師から叱られるだろう。
あなたがこういうことをしでかした時、教師はあなたにこういう「あなたは集団行動ができていない。」
集団行動とはなんだろう。
集団行動とは指導者が指導される側を容易く扱うために、指導される側に身につけさせる(刷り込ませる)集団的意識に他ならない。
みんなが個性を爆発させて、それぞれ思い思いに行動してもらったら、「導く」側としては扱いにくくて困るから「集団行動」という名目で、個性を破壊し、羊化するシステムなのだ。
「えっ!羊化!?」とあなたは驚くかもしれない。
けれど実際そうなのだ。
当てられてもいないのに発言する生徒は話術の才能があるのかもしれない。もしくはいつもアイデアに溢れていて研究者に向いているかもしれない。
数学の授業の時に絵を描く生徒は、芸術家の才能があるのかもしれない。
それぞれの子を、そのまま見守れば、いずれみんなそれぞれの分野で輝くはずなのに、「集団行動の徹底」という名目で、学習指導要領から外れようとする生徒を叩き(時には物理的にも)、無限の可能性を秘めた人間から、プログラム化されたロボット、または従順な羊に変えてしまう場所、それが「学校」なのだ。
そして支配者たちは、そういう人間を求めている。(なぜなら、その方が支配しやすいから。)
だから世間に流れている「噂」を気にして学校にこだわる必要は全くない。
本当はみんな、学校なんて行かない方がいいのだ。
だからそういうことに気づいた一部の大人たちは、我が子を学校に通わせないようにしている。
尾崎豊が、『卒業』で「この支配からの卒業」と歌っているように、学校は「支配」の場であり、そういう意味では監獄と変わりはない。
学校を出ても「自分」であり続ける方法
だが、唯一救いなのはそういう恐ろしい学校に最後まで通ったからといって、全ての人間がロボットのようになったり、従順な羊になってしまうわけではないということだ。
事実、わたしがなっていない。
ではどうすれば、そうならないで済むか。
それは、常に自分の頭で考えることである。
先生が言ったから信じるのではなく、自分で考えて吟味する。
納得がいかないなら賛同しない。
ただ面と向かって賛同しないと、いろいろ面倒だから、首は縦に振りつつ、心ではそっぽを向いていればいい。
自分以外のクラスメート全員が先生の言うとおりに右を向いていても、自分で考えて違うと思うなら、左を向いていていい。
わたしの学生生活の大半は勉強の毎日であり、孤独であったが、今振り返ってみると、この勉強に打ち込むことで強制的に自分を包んだこの孤独が、教師やクラスメート、そして「学校」から一定の距離を保ち、「自分」という個性が守られたのではないかと思う。
孤独だったから、いろいろ考えた。考えることで、一方的に刷り込まれることがなかった。考えれば常に疑問がわくから。疑問がわき、調べて納得いかなかったら、賛成しなかった。
授業に出席しなかったこともある。学校から逃げ出したこともある。孤独な分、わたしは自分に正直に生きることができた。
読書は素晴らしい暇つぶし
今、学生生活が楽しくない人は孤独な人が多いだろう。
もし、あなたが孤独で、もしまだ(なんてことだろう!)読書の世界という素晴らしい世界を知らないでいるのなら、ぜひ、すぐにでもこの世界に飛び込んでみて欲しい。
読書は素晴らしい暇潰しである。
読書は孤独な行為だが、それを読んでいる人は孤独ではない。
本を読むとは、著者と対話することである。
だから、あなたが本を読んでいるとき、あなたは一人ではなく、会話しているのだ。
たくさん本を読めば、たくさんの人と会話することになる。
ゲーテやアランなど偉大な哲学者とだって会話することができる。
そういう偉大な人物の本を読めば、あなたは、孤独なのは自分だけでないということに気づくだろう。
何故なら、偉人と言われる人物とはもれなく孤独な人たちが多いからだ。
その事実があなたの励みになってくれる。それだけでなく、その偉人たちが人生をかけて学んだことをあなたは吸収することができる。
こんなに素晴らしい暇潰しが他にあるだろうか。
勉強時間以外で、通学時間、休み時間など誰とも会話していない時間は全て読書に回すといい。
それであなたの人生は豊かになる。
教室でバカ騒ぎしても、それは大人になって何にもならないが、読書に費やした時間は確実にあなたに何らかの実りを与えてくれる。
だから孤独な人は恵まれている。
誰かのグループに入れば、本なんて読んでいるとつき合いの悪い奴だと思われるが、その心配がない。
あくまでも心は開いて
と、ここまで学校を非難しておいてなんなのだが、間違えないで欲しいのは「学校」というシステムは悪でも、そこに存在する先生やクラスメートがみんな悪であるわけではない。
先生の中にも、本当に良い先生もいるし、心優しい友人が出来たりもする。
だから「学校なんて・・・」と卑屈にならないで欲しい。
何故なら、そうした塞ぎ込んだ気持ちで過ごしていると、素晴らしい可能性ですら自ら遠ざけたり、見落としてしまうようになるからだ。
「学校は悪だ」という色眼鏡を外して見回せば、きっと素晴らしいものも見えてくるはずだ。
だから、わたしの学生生活も世間一般的にみれば勉強と読書の日々が多すぎて「楽しくない」ものだが、わたしとしては楽しいこと、嬉しいことをたくさん経験することができた。
一番やってはいけないことは、自分の人生を誰かの人生や、世間一般に知られている「理想像」のようなものと比較することだ。(そしてその理想像はまやかしである)
周りからつまらなさそうに思われても、そんなのどうでもいい。
それに学生時代はそんなに期待する時代ではない。
大事なことは、自分に正直に生きること。
自分の気持ちを曲げてまで、誰かにあわせる必要もない。
おそらく、あなたが孤独を感じているのは、自分に正直に生きているから。
今は楽しくなくて辛かったりするかもしれないけれど、大人になったらそんなことどうでも良くなるから、その自分に正直でいる気持ちを大切にして欲しい。
ありのままの自分を持ったまま、学生を抜けだし、大人になれる人は少ないだろう。
多くの人は、大人になった時にはもはや本当の「自分」ではなくなっている。(そのことに気づかないのが唯一の救いであるが)
けれど今孤独なあなたは、ありのままの「自分」を抱いて、残りの何十年という人生を生きられる可能性がある。
だから、自分を大切に生きるのだ。
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