最近、動物園に行ってきました。
動物園に行くと毎回思うのですが、人気のある動物とそうでない動物の人の集まり方ってものすごく違いますよね。
そんなに人気のない動物の前は、みんな歩きながら横目で見て終わりますが、人気のある動物の前にはたくさんの人だかりが出来ています。
人気のある動物は、パンダ、ゾウやペンギン、他にもいろいろいますがどの動物園でもトラの人気ぶりには勢いがあります。
特に起きて動いていると人だかりはさらに大きくなります。
そして、なかなか人も入れ替わりません。
トラはガラスの前を右に左にウロウロ歩いています。
動物園で飼育されているトラとはいえ眼光は鋭いです。
一人、一人ガラスの前の人間の目を刺すように見ています。
私は、こんな眼の鋭いトラを見るとこの目の前のガラスが突然割れたらどうなるのだろうかと起こっても欲しくないことを想像してしまいます。
トラは私たちに襲い掛かってくるのでしょうか。
それとも、そのまま飼育部屋の中にとどまるのでしょうか。
もし私がトラだったら、飼育部屋から飛び出すと思います。
今までいろんな動物園に行ってきましたが、どの動物園の飼育部屋もトラにとっては小さすぎると思うのです。
右に行ってもすぐ行き止まり、左に行ってもすぐ行き止まり。
毎日こんなことを繰り返していたら、流石に飽きると思います。
毎日飽き飽きしているので、目の前の忌々しいガラスが割れた日には自由目掛けて飛び出すと思うのです。
あぁ、ウロウロしているトラを思い出しただけで私まで飽きてきました。
さて、トラの気持ちを想像したところで人間はどうしているのでしょうか。
トラの前に集まっている人達を観察してみると、驚くことに気が付きます。
それは、ほとんどの人がスマートフォンを見ているのです。
彼らはスマートフォンでネットでもしているのでしょうか。わざわざトラの前で。
いいえ、彼ら・彼女達はスマートフォンで写真を撮ることに夢中なのです。
トラ単体を撮ろうとしている人、自分とトラを写そうとしている人、自分の子供とトラを写そうとしている人。
撮る対象は異なっていても、みんなスマートフォンの画面を見ているのは同じです。
トラは、そんな人たちの為にじっとしてくれたりはしません。
相変わらず、飽き飽きしながら右に左にウロウロしています。
そんな動き続けるトラをなんとか綺麗に切り取ろうと、みんな必死になってスマートフォンを構えています。
この様子を見ると毎回思うのが、「その一生懸命に撮った写真をこれから何回見るのか」ということ。
せいぜい、一回。
二回以上は見返すことはなかなか無いんじゃないでしょうか。余程のトラ好きじゃない限り。
動物を目にしている時は気持ちも高ぶっていますが、家に帰りつくとそこにあるのはいつもの日常。
そんな慣れ切ってしまった日常の中で、自分が一生懸命撮ったトラの写真を見ても「なんだトラか」と終わるのがオチです。
「おぉっ!あの時のトラだ!!すごいな!!」なんてならないと思います。ほとんどの人は。
私は、「あなた達はそんな運命にある写真をさっきから必死になって撮ろうとしているんですよ」と、心の中でトラの前に集まっている人達に呼び掛けています。
そんな、誰の耳にも届かない呼びかけを続けていたら突然「ベストショットー!」という女性の割と大きな声が聞こえてきました。
おそらく、上手にトラを切り取ることができたのでしょう。
どんな人なのかと思ってその女性を見てみると、ベストショットが撮れた理由が分かりました。
その女性は何分もガラスの前の特等席でスマートフォン片手に中腰になって粘っていたからです。
「なんとしてでもベストショットを撮ってやる」という気持ちが最初から全面に出ていました。
気持ちが前のめりすぎて、トラがその女性から離れて違う方向に歩いて行くと「あ~あっちに行っちゃった。早くこっちに来てくれないかな~。」と呟いていました。
トラがこの言葉を聞いたら、なんと思うのでしょうか。
私だったら、わざとその女性の前には近寄らないようにしてしまうかもしれません。
まぁ、でも粘った甲斐あって良い写真は撮れたみたいです。
けれど、「そんな何度も見返さない写真を撮ろうとしなければ全ての瞬間がベストショットなんだよ」と心の中で私は呟きました。
普通、野生のトラには近づけません。
でも動物園に行けば、この(トラにとっては忌々しい)ガラスのお陰で私たちはガラスの厚さギリギリまでトラに近づくことが出来るのです。
トラが私たちをじっくり観察しているように、私たちもトラをギリギリの距離まで観察することができます。
けれど写真を撮ろうとすると、スマートフォンの画面を見ることになります。
スマートフォンの画面って、トラと私たちを仕切っているガラスに比べたらとても小さいです。
そんな小さな画面に写っているトラを皆必死に見ているんです。
だから視野がとても狭くなっています。
視野が狭くなっているから心の余裕が無くなって必死にもなってしまうんです。
さて、彼ら・彼女たちは”トラ”を見ているのでしょうか。
私が思うに彼ら・彼女たちは”スマートフォンの画面”を見ていると思います。
いや、そうです。
画面に映ったトラを見ることなら、その持っているスマートフォンでYouTubeを開いて”トラ”と検索すると見ることができるのに。
大きなガラスの前でスマートフォンを構えて、その画面越しにガラスの中を覗きこもうとすると、そこには途方もない隔たりがあるように私は感じられます。
久しぶりに友達に会ったからといって、スマートフォンの画面越しに友人を見ようとしませんよね。
もしやってみたら、やられる方もやる方も、ものすごい心理的な距離感を感じると思うんです。
それと同じことを、動物園では多くの人が平気でやっています。
私がトラだったら、ただでさえ狭くて飽き飽きしているのに、誰も真面目に自分を見ようとしてくれなくて激しい孤独感を覚えそうです。
ガラスの前に立つ甲斐がありません。
もしかしたらトラは、「こいつも自分じゃないものを見ている。こいつも。こいつも。」と一人一人見て確認しているのかもしれません。
そういう意味では、観察されているのは”私たち人間”の方なのでしょう。
あなたのスマートフォンの中にも、一度見ただけで終わったどこかの動物園の動物たちの写真が保存されていませんか?
もしそうなら、次動物園に行くときには”画面”ではなく”動物”を意識してよく見るようにしてみませんか。
手ぶらで見る動物園は、スマートフォンを持ちながらでは見えてこなかった景色・動物たちを見ることができますよ。
そして、トラに会ったら心の中でこう話しかけてみてください。
「私は”画面”じゃなくて”あなた”を見に来たよ」と。