みなさん、こんにちは。わらびです。いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
正義感の強い人や、自分の意見を持っている人は、なんでも自分で判断したいと思うので、人や物事を裁きがちになります。
けれど、裁けば裁くほど、結局自分の首を絞めることになるので、裁かない方が楽です。
人を裁くと、その人から裁かれることもあるでしょうが、それよりもむしろ、自分で自分を裁くようになってしまうのです。
例えば、ある人を怠惰であると批判したとします。
すると、怠惰な自分も批判することになります。
自分は怠惰な人間ではない、だからアイツを批判したんだとあなたは主張するかもしれません。
けれど、どんな人の中にも怠惰な一面はあるものです。
普段自分では気付かないだけで、本当はそういう怠惰な自分も存在しているのです。
ある日、疲れてちょっとサボりたいと思う時がくるかもしれません。
そんな時、怠惰を批判した自分が、サボろうとする自分を許さないのです。
批判すればするほど、裁けば裁くほど、自分の中に監視カメラが増えていくようです。
そうして身動きが取れず、息苦しくなります。
だから、誰かを裁く時は、自分も裁いているのです。
これには何のメリットもありません。自分が辛くなるだけです。
なので、裁くことは神様に任せましょう。
自分が裁かなくても、裁かれるべきものは自然に裁かれます。
そうすれば、もっと自由に楽に生きることができます。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。