病院で名前ではなく番号で呼ぶという恐ろしい傾向

シェアする

“人間に、他人と区別できるような名を与えることは罪だ。それでも、我々は、彼女たちを<金色の人>と呼ぶ。なぜならば、彼女たちは他の誰とも違うから。<金色の人>は、他の誰かと同じではない。” 

アイン・ランド『アンセム』(1946年)より

・名前ではなく番号を与えられるということ

超平等社会が到来したら、いずれ名前は持つことを許されなくなるだろう。

人には商品の製造番号のように、数字が与えられる。

「それがいったいどうしたんだ」と言う人もいるかもしれない。

けれど、想像力をフル活動させてみて欲しい。

すべての人が、名前ではなく番号で呼び合うようになったら、いずれ一人一人の人間を区別することが難しくなってくる。

みんな同じような番号だから、誰が誰なのか、分かりにくくなってくるし、そもそも他人に対する興味がなくなってくる

病院で名前ではなく番号で呼ぶという恐ろしい傾向1

少なくとも名前で呼ばれるよりは、確実にそうなると思う。

・名前はその人の個性を認めること

人を名前で呼ぶとは、その人を他の人と違う一人の人間として見ることであり、その人の個性でありオリジナルの存在を認めることである。

しかし、人を物のように番号で呼ぶことには、ただ識別に便利な数字であるだけで、そこに、その人の個性を認めようだとか、もっというなら「人間」として見ることは含まれない。

だから実際に刑務所ではそうなっている。

極度に管理された社会では、個性は扱いにくい邪魔者だから、まず名前を奪い、代わりに管理しやすい番号を人間に与える。

つまり、そういう社会では人間を人間として見ていない。

そういう社会を管理する側の者たちは、人間を「全体」のための(もっと言うなら「全体の幸福」ための)歯車としか見ない。

病院で名前ではなく番号で呼ぶという恐ろしい傾向2

だから、名前ではなく、番号を与えるのだ。

番号の方が管理しやすいから。

・名前で呼ぶ→「人」、番号で呼ぶ→「物」

しかし、恐ろしいことに、現在では刑務所だけでなく、病院でも名前ではなく番号で患者を呼んだりしている。

調べてみると、このことに腹を立てて病院側に不満を述べた人もいるらしい。

こういう人たちの感覚は正しい。

腹を立てた人たちは、直感的に自分という個性を認められていないと感じたのだろう。

自分が物のように扱われたと感じ、憤りの気持ちを抱いたのだと思う。

これについて、病院側の意見は、患者の取り違い防止のため(同姓同名など)名前ではなく番号で呼ぶとのことらしい。

しかし、たとえ同姓同名だろうと流石に生年月日まで一致していることはほぼないだろうし、そもそも、身長や体格、顔などで明らかに見分けがつく。

ようするに、患者の取り違いのリスク云々というのは、後付けの理由にすぎなく、本音は、いちいち顔などでその人が誰だとか判断したくなく(面倒だから)、単純に番号で呼ぶ方が管理しやすいからなのだ。

例えば、自分がロボットの製造会社の社長だとして、何千個のロボットたちに、いちいち名前をつけて管理することを選ぶだろうか?

お客さんから「あなたの会社で購入した”メット”が初期不良なんですけど」と問い合わせられるより、「あなたの会社で購入した、製造番号”12345”番のロボットが初期不良なんですけど」と問い合わせられた方が、どの日に、どの製造レーンで造られたものだと把握しやすいはずだ。

病院で名前ではなく番号で呼ぶという恐ろしい傾向3

病院側の本音は、それと同じことなのである。

患者を人間ではなく、「物」として見ている。扱っている。

・個人情報云々よりも恐ろしいこと

他にも、名前ではなく番号で呼ぶ理由として個人情報保護法も挙げられているらしい。

中には信じ難いのだが、患者の方が個人情報保護を理由に名前ではなく番号で呼んで欲しいとお願いするパターンもあるようだ。

だが、その患者はいったい何を恐れてそういう願いを訴えるのか。

名前で呼ばれることで、いったい何が暴露されると恐れているのか。

本人は現場にいるではないか。

たとえ名前ではなく、番号で呼ばれたとしても、その人の姿までは隠せない。

透明人間になって診察を受けることはできない。

なのに何を恐れているのか。

そもそも、病院に行っている時点で病院側に名前以上に多数の(その人が恐れている)個人情報が流出している。

たまたま待合室に居合わせた人に名前を聞かれる方が、病院に家族構成から住所から電話番号から何からまで情報を渡すより危険があると言うのか?

たまたま待合室に居合わせた人は、たとえその人が、ガンであろうと興味はない。

その人の名前が聞こえたからといって、わざわざ注目して、メモをとったりしない。

恐れるべきは、個人情報の流出(ただし、病院で名前で呼ばれることを個人情報の流出と考えるなら)ではなく、名前ではなく番号で呼ぶという行為に隠された、管理者たちの意図である。

何度も繰り返しになるが、名前ではなく番号で呼ぶことは、人間を人間ではなく、物として見ていることの現れである。

病院で名前ではなく番号で呼ぶという恐ろしい傾向4
↑名前で呼ぶとき
病院で名前ではなく番号で呼ぶという恐ろしい傾向5
↑番号で呼ぶとき

・番号で管理するから間違いが起こらないわけではない

だから人から名前を奪うことは恐ろしいことなのである。

個人情報保護とか、取り違いリスク防止とか、そういう後付けの理屈に騙されてはいけない。

歴史的に見てもつい最近までは、「個人情報保護」なんて言葉もなかったのである。

そして番号で患者を呼ばなくても、取り違いのリスクはいくらでも防ぐ手がある。

むしろ、番号で管理する方が、個人を無視し、安直に数字だけを見て、それが正しいと鵜呑みにするから、重大な間違いも起きる可能性がある。

本当は「1234番」の脳を摘出しないといけなかったのに、気づいたら「1243番」を手術していたとか。

病院で名前ではなく番号で呼ぶという恐ろしい傾向6

・名前には名前以上の大切な意味がある

名前はただ名前なのではなくて、そこにはいろいろ大切な要素が含まれているのである。

名前を大切に。

自分の名前も、他の人の名前も。

なぜなら人間は”物”ではないから。


アンセム
スポンサーリンク

シェアする

フォローする