私は小学生の頃、給食のおばちゃんが好きだった。
小さいころから料理が好きで、料理番組に夢中になっていた私にとって、あんなに大量のご飯を美味しく作れる給食のおばちゃんはヒーローのような存在だった。
それで私はよく、ある一人の給食のおばちゃんに話しかけ、そのおかげで少しだけ仲良くなっていた。
ある日、ほとんどの人が給食を食べ終わって満腹感に満足し、おしゃべりに夢中になっていた時、給食のおばちゃんがひっそりと教室に入ってきた。
これが初めてとかではなく、ごくたまに給食のおばちゃんが教室に見回りにくることはあった。
教室を見回すと、私以外の人はいつの間にか教室に侵入している給食のおばちゃんには気づいていないようだった。
給食のおばちゃんが好きだった私は、彼女のもとに歩いて行った。
「やっぱりみんな残しちゃうね。」とサラダの入っていたボウルを覗き込んで言った。
私もボウルを覗いてみるとボウルの周りにとうもろこしの粒が点々と残っていたから、このことかと思って、「とうもろこしですか?」と聞いた。
「そう。」とおばちゃんは答えた。
それから続けて「とうもろこしって料理するの大変なのよ。それに高いの。だから残さず全部食べて欲しいんだけどなぁ。」と言った。
その時のおばちゃんの表情は、なんだかとても悲しそうな残念そうな表情だった。
だから私は咄嗟に「私は全部とうもろこし食べましたよ!とても美味しかったです。」と言った。
するとおばちゃんは「ありがとうね。じゃあ、またね・・・。」とやっぱり少し悲しそうな表情をして静かに、そしてやっぱり誰にも気づかれずに教室から出て行った。
「夏バテにも負けない〇〇を食べて、元気いっぱいになってね!」とか言う時もあるのに、「とうもろこし全部食べてください。」と言わずに黙って出て行ったあのおばちゃんの表情が忘れられない。
私は実際、おばちゃんを元気づけるために嘘をついていたわけではなく本当にとうもろこしは全部食べていた。
だが、あの日以来私は意識してお皿には何も残らないように食べるようになった。
そして、それから年月は経ち、私は今まで食べる立場だけだったのが、作る立場にも立つようになった。
作る立場になって、あの時のおばちゃんの気持ちがよく分かった。
指を切らないように慎重に切ったにんじんの千切り、ザルの目に詰まったのを地道に取って集めたヒジキ、フライパンにピッタリとくっついてすくいにくかったニラ。
それらは野菜クズなんかではない。その一品を作るために向き合った立派な野菜たちだ。
勿論あの時、とうもろこしの粒を残した人達には悪気がなかったのは知っている。
多分全部綺麗に食べる人の方が全体では少ないんじゃないかと思う。
けっこう意識しないと食べられない。お皿にひっついているとうもろこしの粒を食べるには、一粒一粒お箸で掴まないといけないし、ひじきだってかき集めないといけない。
そこまでして食べる人は中々いないと思う。
だからある意味お皿に残った野菜たちを見ることは当然のことなのだ。
だけれど、その一粒には愛情が詰まっている。
多分食べてくれる人のことを考えて一生懸命愛情を込めて作った人ほど、この残された野菜たちを見て悲しいような、寂しいような気持になる。
だからあの給食のおばちゃんはきっと、とても心を込めて私たちに給食を作ってくれていたんだと思う。
私は今日もお皿の中の野菜たちを残さず綺麗に食べる。
そうすると、思い出の中のおばちゃんが笑顔になってくれる気がするから。
追記:
ちなみに、とうもろこし一本についている粒の数は大体600粒ほど。とうもろこし一本の価格が150円だったとすると一粒あたりの価格は0.25円。20粒食べ損ねてしまうと0.25×20=5で5円ドブに捨てたことになる。
でも本当に捨てたのは5円分だけだろうか・・・。