みなさん、こんにちは。わらびです。いつも記事をお読みいただきありがとうございます。
『モモ』という小説の中に、こんな言葉があります。
”もどりたくても、もうもどれない。ぼくはもうおしまいだ。おぼえているかい、<ジジはいつまでもジジだ!>、ぼくはそう言ってたね。でもジジはジジじゃなくなちゃったんだ。モモ、ひとつだけきみに言っておくけどね、人生でいちばん危険なことは、かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ。”
このジジという人物は、大物になりたいという夢を持っていました。
その念願だった夢が、あることがきっかけで叶ったのですが、その代償は大きかったのでした。
人は夢を持ち、その夢が叶えられることを望みますが、その夢が叶うことで、自分が幸せになれるかは別だということを、教えてくれる言葉だと思います。
実は、夢や目標を立てて、それに向かって努力するという生き方は、西洋的な生き方です。
東洋では、なるべく自我から離れ、今という瞬間に生き、自然の流れに身を任せるという生き方が本来は一般的でした。
ですが、東洋でも西洋化が進み、このような東洋的な考え方を実践している人は少ないのではないかと思います。
本屋の自己啓発書のコーナーを見ても、「夢を叶える~」「目標を立てる~」系の本が目立ち、東洋的な「自然の流れに任せる~」「おまかせで生きる~」という類いの本はほとんどみかけません。
けれど、ジジが忠告するように、人生で一番危険なことは叶えられるかずのない夢がかなえられることなのだとしたら、西洋的な「自分で目標を立てて、それに向かって努力する」という生き方も、実はとても危険な生き方なのではないかと思うのです。
それより、神様や守護霊様に、自分のことはおまかせして生きるという、東洋的な生き方の方が安心なのではないかと思います。
だから、わたしも以前は夢を持っていましたが、このように考えるようになって、大きな夢や目標を持つことはやめました。
こうなったらいいな、と思うものはありますが、それも実際は自分にとって本当に良いのか分からないので、別にその希望が叶えられなくても悲しくはありません。
自然に叶えられないということは、叶わない方が自分のためだからと思うからです。
人間には自由意志が与えられているので、神様や守護霊様が導こうとしている方向に逆らうこともできます。
しかし、忘れていけないのは、神様や守護霊様は常に私たちを最善の方向に導こうとしているということです。
ですが自由意志という力で、必死で努力すれば、その導きから外れ、本来は叶えられるはずのない夢も、叶えることができます。
けれど、その夢は本当は叶えられるはずのない夢だったので、叶ったのが終わりの始まりかもしれません。
必死は「必ず死ぬ」と書きます。身を粉にする生き方は、自分を文字通りボロボロにしてしまうかもしれません。
しかし、真実の生き方は日月神示が示すように「うれしい」「たのしい」と陽気で過ごす生き方なのではないかと思います。
川の流れに逆らうのではなく、流されるのを楽しむ。
流されながら、いろんな景色を見て、いろんな体験をして、気が付いたら、どこかに辿り着く。
そんな無理のないおまかせの生き方が、面白いし、人間にとって一番良い生き方ではないかと思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。