あなたは「いじめられる側」にも「問題」があると思いますか?「加害者は勿論悪いけれど、被害者にもそれなりに原因が・・・」と、思ったことはないでしょうか?もし、そう思ったことがあるとすれば、私はそれは「とても危険な思考」だと思うのです。私は「いじめられる側に原因はない」と信じています。今回はそのことについてお話します。
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目次
「いじめられる方にも原因がある」説は人間の個性を無視している
「いじめられる方も悪い」という人の言い分
いじめが話題になると必ずと言っていいほど「いじめられる方も悪い」「いじめられる方にも原因があるから仕方ない」というようなことを言う人がいます。
では、その人の言う「いじめられる側の悪い点」「いじめられる原因」とはなんなのでしょうか?
私が実際そういう人たちから聞いた言い分は
・声が小さすぎて何言っているか分からない
→だからムカツク
・調子に乗っている(陽気すぎる、声が大きすぎるetc)
→だからムカツク
・成績が良すぎる
→だからムカツク
・容姿が良いor悪い
→だからムカツク
・何らかの事件を起こして(本当に些細な事、一発芸が寒すぎたetc)
→だからムカツク
大体こんな内容でした。
その人たちからすると原因と結果が結びついていて何とも筋の通ったことのようにしか捉えていないみたいなのですが、私はこういった意見を聞くとゾッとします。
「いじめられる方にも原因がある」説は人間の個性を無視している
「いじめられている方にも原因がある」という考えの人たちには、その人たちなりの考えがあることが分かりました。
では、この考え方が100%正しいと仮定したら次のようなことも立派な「原因」になりませんか?
・大多数が「黒色」が好きなのに、あなたが「白色」が好き
→だからいじめられて当然だ
・みんなは「レバニラ」が苦手なのに、あなただけは「レバニラ」が好き
→だからいじめられて当然だ
・みんなは偶数月生まれなのに、あなただけが奇数月生まれ
→だからいじめられて当然だ
・みんなは笑い方が「わはは」なのに、あなただけが「あはは」
→だからいじめられて当然だ
どうでしょうか?
いじめている側からこのように説明されてあなたは納得できますか?
恐らく多くの人は納得できないと思います。
こんなの理不尽だ!全然筋が通っていない! と・・・。
しかし、「いじめられる方も悪い」説に立つ人たちの言っている”正当な理由”とは、これと全く同じことなのです。
彼らには一見筋の通った理由に見えているかもしれませんが、一歩引いてみると行き過ぎた多数主義の結果なのだということが分かるはずです。
いじめられている人は、たまたまその個性が少数派だったにすぎません。
例えば、その集団の大多数が「声の小さな人」だったら「声の大きな人」がいじめの対象になり得るし、集団の大多数が「声の高い人」だったら「声の低い人」がいじめの対象になるのです。
そこには絶対的な「いじめられる原因」というものは存在しません。
単純にその人が「少数派」だったが為にいじめられているだけなのです。
このような考えは人間の無限の個性を完全に無視した考えだと言えます。
みんなには口元にホクロがあるのに、あなただけには無いからいじめの対象にされるのと同じなのです。
だから、「いじめられている側」に悪い点や原因など一つも存在しないのです。
追記:
この記事に少しでも共感してくれて、もしあなたの周りにいじめに遭っている人がいたらどんな方法でもいいので出来るだけその人の力になってあげてください。
人は「自分一人じゃない」と思えたら頑張ることができます。
その為には小さくても良いので何らかのアクションが必要なのです。
まとめ
多数派が常に正当化され、少数派は常に「悪」だとされ罰せられる世界。そんな世界ゾッとしませんか?これと同じことが「いじめ」で起きています。「その人の欠点・悪い点」に見えている部分は個性なのです。誰にもその個性を否定する権利はないはずです。